自転車で行く近江の城(2)宇佐山城

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3つ目の大津の城

膳所城、大津城に続いての大津の城跡「宇佐山城」に行きました。
このあたりになるとよっぽどの歴史ファンでもない限り知らないのではないでしょうか?

大津にはこれ以外にも先日作成した滋賀のお城マップには、坂本城、壺笠山城をマークしてます。
ロードバイクで行く近江の城シリーズ

正直私もこのマップを作ってみるまでは全く知らなかったお城です・・・。
さてさて、どんなお城なのでしょうか?

宇佐山城とは

近江の地を手中に入れようと織田信長が浅井・朝倉と対峙していた元亀元年、近江北方への前線防衛基地として家臣の森可成に築かせた城です。
場所は眼下に京都へ抜ける道「山中越え」を見下ろし、麓に北国海道が走る交通の要と言える地点。
宇佐山はそういう場所にそびえる標高300mほどの山であり、信長としても本拠である尾張から畿内へのルートを確保するために絶対に落とされてはならない場所でした。

ちなみに森可成は信長の小姓として有名な「森蘭丸」のお父さん。
宇佐山の戦いでは、北方から攻めてきた浅井・朝倉連合軍にこの宇佐山から迎え撃ち、坂本の地で合戦がありました。
当時大坂の石山本願寺勢や三好三人衆を攻略しようとしていた信長はこの開戦を知り急いで戻るのですが、それまでの間少数の兵で持ちこたえなければならなかった
宇佐山城はついに森可成が討ち取られてしまいます。
辛くも城までは落ちず戦いが長期戦になったことで、信長は和睦を図り一旦は収まりました。
その後、この宇佐山城には明智光秀が城主として入り、歴史的に大きな出来事だった「比叡山焼き討ち」の拠点となっていくのです。
比叡山焼き討ち後明智光秀は「坂本城」を築城し、拠点がそちらへ移ったため、この城は役目を果たし廃城となりました。
マイナーな城跡ですが、信長の近江攻略における重要な城であり、なかなか歴史ファンにとっても興味深い史跡ではないでしょうか?

まずは宇佐八幡宮へ

宇佐山城は宇佐山の頂上にあります。
手前に「宇佐八幡宮」という神社があるのでまずはそこを目指すことに。
と言っても宇佐八幡宮は近江神宮の裏手にひっそりとたたずむ神社。ひとまず分かりやすく近江神宮に向かいます。
近江神宮の正面に向かって左側に小さな川があり、角に「宇佐八幡宮」の看板と道標があります。

石造りの道標には「むし八幡」とあります。

調べてみると「むし」とは、疳の虫のことだそうで、虫封じとして子供の夜泣きや病気の悩みを聞いてもらえる神社とのこと。
なので子供の守り神として崇められています。
「むし八幡」で調べると京都の「三宅八幡宮」が検索の上位にたくさん出てくるので、こちらのほうが有名なのでしょう。
ちなみに京都の「むし八幡」の創建は遣隋使の小野妹子によるもの。小野氏は滋賀県小野のあたりに住んでいた豪族なので、この宇佐山の地に同じ「むし八幡」があるのも何か関係あるのかもしれません。
さらに言えば、全国に4万社あると言われる「八幡社」の総本宮は大分県にある「宇佐神宮」。宇佐山とはここからきたのかな?
おっと、ついつい宇佐八幡宮の話が長くなりすぎました・・・。きっとこのルーツをやり出すとそれだけでシリーズになってしまう気配・・・危ない危ない。


宇佐八幡宮の看板からは数百メートルの緩い上り坂が続きます。
ドンツキのところに宇佐八幡宮遙拝所があるので、そこを右へ行くと宇佐八幡宮の鳥居が見えます。


宇佐八幡宮はここからさらに登ったところです。
が、鳥居の先は砂利道。ここからは自転車では無理?


宇佐八幡宮と書かれた石柱の足元に小さな案内板が置いてありました。
宇佐山城の文字があります。(ここまでは道は合っているようだ)

徒歩の場合はこのまま鳥居をくぐって参拝しますが、本日はロードバイク。
鳥居の道のもう1本左に舗装されてない道が見えます。ちょっと走りにくいですが、すぐに舗装路に変わるため
そちらへ。幸雲陶苑の裏側と名神高速の間の側道を通って登りました。


しかしその先の宇佐八幡宮の参道は舗装されているものの、これがかなりの激坂
路面も多少濡れてスリップするので早々に諦めて押して上がることに・・・。歩いて登るのもしんどいくらいの坂です。


「金殿井」と言われる井戸がありました。中の井戸を覗きましたが水はなさそうです。
この先に神輿道が参道の石段と交差するところがあります。


思わず見落とすところでしたが、消えそうな文字で「宇佐山城跡」と書いている様子。


このまま神輿道を進むと宇佐山城跡に行けそうです。
石段側を徒歩で進むと、

宇佐八幡宮に参拝できます。
神輿道はドンツキまでいくと宇佐八幡宮の裏手の神輿保管庫に到達します。(そりゃそうだよな、神輿道と書いてあるんだから)

宇佐山城跡はどこだ?

では、宇佐山城跡に行くにはどこかで分かれ道が??


なんとこの神輿道の途中に倒れ掛かった看板を発見。ここにも薄っすらと宇佐山城跡の文字が・・・。
もしや、この獣道のようなところを登るのか??

写真にはルートの線を入れましたが、実際に行ってみるとわかりますがとても道と言えるようなものはありません。
なんとなく木の間に通れそうな空間があるというくらいのものです。

しかも今日は何も考えずに「ちょっと行ってみるか!」というくらいの感じでここまでロードバイクで来たもんだから、
靴はビンディングシューズ(しかもSPD-SL)。クリートカバーがあるのが唯一の救い・・・。
でもせっかく来たし、登ってみるか。
(もちろん自転車はここで置いていきます…)

昨日までの雨の影響もあり、落ち葉で埋め尽くされた地面はやや湿ってます。
その落ち葉をビンディングシューズで踏みしめながら
登っていくと、

地元の小学生が作ってくれたのか、木製の案内板がルートに沿って立てられてました。
いや~ありがたい!というか、これがないと多分遭難するかも…(^^;)


こんな道や、


こんなところも…
案内板のお陰でなんとか城跡には向かっていると感じられます。
しかしビンディングシューズで登るにはあまりにも過酷な道。正直ハイキングコース程度となめていたのでやや後悔してました。(´Д`)

ついに宇佐山城跡発見!

30分程度登っただろうか…、そしてついに石垣を発見!

確かにこんな山奥に人の手による造形があります。

その先の頂上は、NHKの中継所でした。

中継所に登るコンクリート製の階段があります。

登っていくと囲むように石垣の残骸が…

野面積みと言うのでしょうか。
当時としては石垣を本格的に築城に用いたのは織田信長の築いた安土城からだと言われています。
それまでのお城は土塁に木の砦が一般的だったそう。それだけに信長が宇佐山城をいかに重要視していたのかをうかがわせる造りです。


ひっそりとお地蔵様が祀られてます。

本丸のあった頂上はさほど広くはありません。
グルッと回っても5分もかからないくらい…

頂上と同じ高さの位置に山中越えドライブインが見えます。

登ってきて不思議に思ったのは、一体この本丸には何人詰めることができたのかってこと。
かなりの少数精鋭だったんだろうなぁ…

まとめ

今まで全く知らなかった城跡ですが、確かにここにも信長の遺構がありました。
戦国と言われる日本の激動期に城はこの近江の地でその技術も場所も刻々と変遷しながら発達し、やがて誰もが知る天守閣を持つ物になっていったんだなぁと思います。
まさに「兵どもが夢の跡」。
つい先日ロードバイクでヒルクライムした山中越えから見えるところに「宇佐山城」があったと思うと面白いものです。

ただ今後城跡に行くのははビンディングシューズはあきませんね!(^^;)
くれぐれもみなさんはトレッキングシューズや山用のステッキ等を用意して登ってくださいね。
(マジで滑落する危険がありますので…)

ちょっと真剣にマウンテンバイク用のSPDペダルとシューズが欲しくなったfunazushi-maruでした。

宇佐山城跡の地図

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