(画像は2018年に撮影したもの)
こんにちは、かなり放置プレイ状態の当ブログを運営しているフナズシマルです。今日はふと気になることがあり、急にブログが書きたくなった次第。
それは、「白鬚神社」の湖中大鳥居の件です。
ビワイチでも人気の、というか滋賀の観光スポットとしても必ずピックアップされるスポットの一つでもあります。
近江の厳島とも呼ばれ、湖面に浮かぶ朱塗りの大鳥居は琵琶湖の神秘的なパワーを体現しているかのように佇んでます。
その様子が昨今のSNSでの拡散もあってか、大変人気の被写体として多くの観光客が訪れています。なんとその数は年間15万人。
それだけなら良かったのですが、実は昨今大変危険な場所になってしまっています。湖中大鳥居と神社の間にとても交通量の多い国道が走っているのですが、写真を撮りたい観光客が横断歩道のない国道を渡る、渡る……。
このあたり緩いカーブにもなっており、しかも結構な速度で走る車も多い場所。琵琶湖側には歩道もなく、ビワイチの上級者ルートも車道の左端を通ることになっているので自転車も走ります。その先に湖岸へと降りる階段が……。交通的にはかなりカオスな状況だったりするのです。
以前からこの状況について危険であると様々な方面から言われており、社務所や関係期間への苦情も殺到していました。そのため様々な方法で注意喚起もされては来たものの、ルールを守らず国道を渡る人が耐えない状況が続いていました。
2012年以降では神社の前で計20件の事故が発生。しかし昨年12月ついに恐れていたことが起きてしまいました……。
道路を渡ろうとしていた79歳の男性が車にはねられて死亡する事故となってしまったのです。
一連の問題を受けて、滋賀県では2022年5月に国土交通省滋賀国道事務所、県警、高島市の担当者らが集まり安全対策の今後について話し合いを行なったとニュース記事にあります。
この件について、ビワイチに関わる自転車の活動団体や個人の間でも議論となっていました。そこで今回自分なりに一度頭を整理するためにブログに書いてみようと思った次第。
それぞれの意見には横断歩道を作るべきや、歩道橋設置、または地下道など、観光面の配慮を優先する考えがある一方、そもそも交通ルールを守るのが大前提だから、そこを崩してまでルールを無視する人に寄り添う必要はないという考えも。
私は……、
どちらも理解できるし、どちらも何か足りないと感じてます。
ごもっともだと思うのは、そもそもマナー違反、交通ルール無視でしょ?の考え。渡っちゃいかんところは渡っちゃいかんのです。それをやってしまって事故になるとみんな不幸になってしまうから。轢かれた人はもちろんのこと、車も、神社も、そして結果訪れる場所ではなくなってしまうことで県の観光にとっても観光客にとっても不幸な結果となってしまうのです。
とは言え、これだけ人を惹きつける魅力ある場所。ルールに厳格であればそれでいいのか?という思い。観光資源としての活かし方もまったく考えないというのも寂しい。
現在神社の背後の山の中にバイパスを作っているので国道の交通量は完成後減るとは思いますが、だからといって歩行者が渡れるようになるには横断歩道や信号などが必要。なので私としては境内の中央から少し端にずれたところに横断歩道を設置して、鳥居前まで歩道を作るのが良いのではないかと思ったのですが……。もう少し調べてみると、事はそんなに単純なことでは無いようです。
ABCニュースの記事によると、横断歩道は前述したように見通しの悪いカーブに作るのは却って危険になるということ。そして歩道橋も本来は渡った先に管理者が明確な道があるのが前提なのですが、この場合は琵琶湖しかないので誰の管理や責任で設置するのかが問題だとか。
この件は結構センシティブな話題になってたりしますので、あの素晴らしい景観を見るたびに少し悲しくなってしまうのが私としては辛いんです。そういうネガティブな気が集まるような場所にはなってほしくないな、と。
でも一体なんでそんな場所に国道があるのか?
いつからこうなってしまったのか?
ちょっと気になったので調べてみました。
そしたら「おお、まさに欲しかった情報!」的なサイトを見つけました。
公益財団法人滋賀県文化財保護協会さんのサイトに「新近江名所圖会 第348回 ちょっと昔の白髭神社―西近江路をたどる―」という記事が前後編にわたって掲載されておりました。
こちらに大正時代あたりの白髭神社前の写真が載せられています。
この時点ではあの湖中大鳥居はありません。境内の鳥居の前には細い道(西近江路)があり、その先は琵琶湖となっていました。このあたりは山が琵琶湖まで突き出た場所であり、西近江路も琵琶湖のそばギリギリを通るしかなかったようです。
白髭神社のHPには、
大昔から白鬚明神前の湖中には鳥居があったと伝えられ、室町時代の屏風絵「近江名所図」や、江戸時代に描かれた当社の縁起絵巻にも湖中の鳥居が描かれている。
白髭神社ホームページより
鳥居が湖中に建つ理由は諸説あるが、実際にあったという証拠もない。
とあります。が、大正の頃には無かったようですね。
次に「新近江名所圖会 第348回 ちょっと昔の白髭神社―西近江路をたどる―」の後編に昭和44年の江若鉄道の写真が載っており、そちらにはハッキリ鳥居が写っています。この頃、湖岸は神社の前も含め、埋め立てによって今の国道の場所が新たに作られたのです。
湖中大鳥居は大阪の薬問屋小西久兵衛氏の寄進によるもので、昭和12年に設置されました。江若鉄道はそれより前の昭和6年に今津までの区間が開通。同時に道もその時に拡幅されたようです。
つまり昭和6年時点では鳥居はなくて、琵琶湖側からはすでに鉄道、道路、神社となっていたようです。
その後昭和12年に鳥居ができたことで、鉄道の車窓から湖中に浮かぶ大鳥居を眺めるという風情ある風景が生まれたことになります。
時は流れて車社会の到来とともに鉄道はなくなり、国道はさらに拡幅されました。そうして現在のような状況が作られていったのですね。
白鬚神社は、創建から2000年が経つとも言われる大変古い歴史をもつ社です。そして全国に300もの分霊社を持つ白鬚社の総本山でもあります。
祭神は猿田彦命。天孫降臨の際にニニギを道案内をした神様。
あくまでもここは神聖な神社という場所です。2000年という歴史に敬意を払いつつ参拝するのが本来のここへ訪れる目的であるはず。
昨年ロータリークラブによって設置された展望デッキに登れば、届きそうで届かない大鳥居が人々の喧騒をよそに、相変わらず湖中に堂々と聳えるのを見ることができます。
きっと白鬚の神様はこれ以上易々と神の領域を汚すなかれと言っているのかもしれませんね。SNSは一過性のブーム的なところもあるので、そのために振り回されるよりも、今は少々景観的には残念な柵の設置でも安全優先のためとして受け入れ、あくまでも神聖な場所として訪れる人への理解をじっくりと求めていくのがいいのかもしれません。
という訳で、ブログ書いているうちに私の考えもそこへ落ち着きました。
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