見た目は大切

たまに気が向いた時に描き始めるブログ。

もはや読み手のことなどどうでもいい、感情の吐き捨て場のようになっている我がブログ。

今回もふと思ったことが書きたくなった。

唐突にお茶のペットボトルの写真を上げてみたが、別にこの商品そのものについて論じるつもりはない。ふとスーパーから事務所へと向かう道すがら、何故私がこの商品を買ったのか疑問をもってしまい、そこから自身のビジネスについても考えてしまった。

その一連の頭の中を流れていった思考を文章にして残したいと思っただけのこと。


スーパーにお茶買いに行ったら「生茶」のパッケージデザインがなんか良く見えたので購入。
そう言えばペットボトルのお茶って特保とかの機能性でもない限り、どのメーカーも等しく安い。味はどうかというと多少の好みもあるけど、僕の場合はそこに大した美味しさを期待してない、というか不味くなければ問題ないのだ。


では何が購入の動機になるのかって言ったら、やはりパッケージが大きな要素なのかもと、ふと思った。先日まではサントリーの伊右衛門の四角いボトルがお気に入りだった。さっきのスーパーにも伊右衛門はあったけど、それでも生茶に浮気してしまった。なぜか美味しそう!?いや高級感!?的な漠然とした良い物感が生茶の佇まいから放たれていたのだ。

なぜそう感じたのかわからない。お茶を飲み比べてみたわけでもない。でも人は商品を選んで購入する。

お茶はまだ味の要素や液体の見た目もあるけど、思い出してみるとミネラルウォーターに至っては、もはやそれすらない。それでも激安の水を選ばず、ちょっと高くてもエビアン買ったりとか…。もちろん軟水とか硬水とかあるから、人によったり料理などによったりして使い分ける必要はあるのかもしれないけど。


世の中の売れているもの、意外と中身よりもパッケージが生み出す世界観そのものが商品価値になっているのかも。
人は自分が幸せになる未来をイメージできるかどうかで、その商品を手に取ると言う。
その意味では、パッケージが何かの未来の幸せイメージをその人に与えているのかもしれない。
中身に関しては期待を裏切らない程度のクオリティがあれば、必要以上のクオリティーを出しても購入には繋がらない。そもそもお茶自体にクオリティを求める人ならば、そもそもペットボトルは買わないだろう。ペットボトルのお茶を買う層が当たり前品質として求めているのは手軽さや安さ、品質の安定性というニーズだからだ。

これって様々なビジネスで当てはまると思う。


サイクリングツアーはどうか?
旅行商品はどうか?


旅行パンフの一つ一つのツアー見てると、あの小さなスペースで必要な情報伝えつつ、行きたいと思わせるところがスゴいと改めて感じた。
一つのツアーではほぼ写真1〜2枚程度。それで行く気にさせないといけない。お茶は1本80円程度だけど、旅行商品は数万円から数十万円まで掲載されているのだから、そんな高額商品が中身の味見もせずに購入されるビジネスモデルとしては、旅行パンフってやばい。

旅行に行く人って、中身のクオリティーはペットボトルのお茶程度くらいにしか考えていない?ってことはないとは思うけど、そうなると期待しているサービスって何?

ガイドがツマラナクっても、ホテルの料理が普通だったとしても、大きなクレームになるとはない。要するに行きたかった場所にいけて、そこで時間を過ごすことができた、写真で見るほどではなかったけど、見たかった景色を見れた。そういう機会を作れたこと自体ですでに夢がかなっているのかもしれない。もちろん素晴らしい思い出が作れるほうが良いに決まっているが、それはオマケであって、大事なのは「自分のイメージした時間の過ごし方をできたか?」という部分であり、その時間の中で起きる良し悪しはそれも含めてその時間の中での経験として刻まれる。

事業者としてはもちろん良い思い出を作ってほしいけど、良いことばかりでも面白くないのかもしれない。色んな感情の浮き沈みも含めての時間を過ごさせてあげられることが大事なのかもしれない。

その意味では旅行商品のパッケージや訴求方法というのは、過剰なイメージ訴求よりも、行けば叶う基本的な行程についてしっかりとコミットメントすることが我々旅行会社には求められることなのだろう。あ、だから旅行業法でパンフなどへの情報掲載についても細かく規定されているのか。理解できました・・・。