自転車でめぐる近江の旧街道~北国海道(西近江路)5

安曇川を越えて…

山辺路も中辺路も、それぞれ安曇川を渡る先で合流します。ちょうどその合流地点あたりがどうやら「河原市宿」があった場所のようです。やはり大きな川には、渡しのための宿場が必ずと言っていいほどあります。ここもそうなのでしょう。

集落の住宅の隣に一里塚の跡が残されていますが、札が立っていなかったら、ただの土の盛り上がっただけの場所。ここのお隣に住んでいる方は、玄関開けたら1秒で一里塚という立地。子供とかいたら遊んじゃいそうですが、多分史跡保護のため遊んじゃダメって言われそう。

県道558号をそのまま真っ直ぐ進み、国道161「饗庭」交差点を突っ切ります。

 

 

渡り切ったところから左側にある民家脇へ。

民家の横をすり抜けると小さな橋があります。こういった道も旧街道アルアルというか、旧街道が人の家を突っ切っている場所って、結構あります。

 

そのまま真っ直ぐいくと、ほら!ちゃんと北国海道の石碑が。

200mほどの短い区間ですが、北国海道としてこの道の保存を地域の皆様がされているのです。

この区間の中には一里塚跡もありますよ。

「木津一里塚」跡。

特に何もない空き地ですが、ちゃんと案内板を設置してくれています。ありがたい!

 

この区間の突き当りにも道標が残されていました。ここまで、北国海道を意識的に保存しようという地域はあまりなかっただけに、よくぞ北国海道に目をつけてくれたと感謝いたします。

 

 

西近江路は再び琵琶湖へ。道の先に広がる雄大な琵琶湖、その先に浮かぶ竹生島…

遠い昔の人々も、目の前に広がるこの景色に神々しさを感じたのでしょうね。ここは竹生島に向かって拝む「竹生島遥拝所」と言われるところ。湖中にはたくさんの賽銭が今も沈んでいるようです。昔の人々にとって琵琶湖は神そのものなんですね。

 

九里半街道とヴォーリズ

この場所を過ぎるといよいよ「今津宿」です。

この道もビワイチルートとしてお馴染みですね。

今津は西近江路の中でも、特に旧街道的な雰囲気を残した街です。旅籠というわけではないですが、街道沿いには何軒かの古い民宿もあり、古くから続く湖岸沿いの宿場といった風情を感じることができます。

 

 

今津に入り、琵琶湖汽船の乗船所を越えてしばらく行くと、「九里半街道」の分岐点に出ます。ビワイチルートでは真っ直ぐ海津へ向けていくのですが、西近江路はここで左折です。

「九里半街道」とは今津から福井県・小浜へと県境を越える道。途中、保坂で鯖街道とも合流します。この今津も街道の結節点として湖北では重要な位置を占めていたことがわかります。秀吉の時代には、北陸の物資は一切他港には出してはならないとの秀吉の意があったそうで、湖北の中心地としてたいそう繁栄した港町なのです。

アメリカ出身の建築家で、メンソレータムを普及させた近江兄弟社の創始者でもあるウイリアム・メレル・ヴォーリズは、キリスト教の布教も近江の各地で行っていました。近江八幡に点在するヴォーリズ建築は有名ですが、ここ今津にも「ヴォーリズ通」という道があります。

九里半街道分岐を曲がると、すぐに通りの雰囲気がどことなくハイカラな雰囲気を醸し出していることに気づきます。

交差点の先には「今津ヴォーリズ資料館」や教会、それに旧今津郵便局の建物が並び、いわゆる江戸情緒のある旧街道とは一味違った西近江路の一面に触れられますよ。

 

 

旧今津郵便局は、実は数年前までは倉庫として利用され、痛みも激しくなり取り壊しの話もあったそうです。それを聞いた有志の方々がボランティアで建物を修復し、お世話をしながら一般公開されているのです。中へは無料で入ることができ、昭和初期まで利用されていた当時の郵便局の様子を知ることができます。

 

ヴォーリズ通の先は古くからの商店街。酒蔵や湖魚店など、思わず買いものをしたくなってしまいそうです。「栄町」交差点を越えた先にちょっとした登り坂があり、その先の今津宮の森公園のところで、西近江路と九里半街道は分かれます。九里半街道はここから保坂を越え、熊川宿を経由しながら小浜へと向かいます。ちょうど国道303がそのルートですね。

 

対して西近江路は今津宮の森公園の手前を右へ進み、この後は海津宿を経由し敦賀へと向かいます。つまり敦賀と小浜といった若狭湾の物資はここで一斉に集約され、今津の港から大津へ、そして京へ向かったのでしょう。

 

 

近江側の最後の宿場「海津宿」へ

この先はマキノを目指します。

 

県道335号をひたすら真っ直ぐ。すでに日が暮れかけて来た…。急がねば。

もう6月ですが、このライドはGW中のもの…。まだこの頃は桜も咲いてたんですよね。

 

 

ということで・・・・・

海津宿到着。

間もなく日没といった時間までかかってしまいましたが、この時間の海津の石積みから見る琵琶湖もいいもんです…。自宅から約9時間、距離にして80㎞の今回の北国海道(西近江路)の旅。ちょっとゆっくりしすぎてしまったので、海津にて一旦終了。

マキノ駅からは輪行で…。

 

北国海道(西近江路)を走り終えて…

北国海道(西近江路)はこの先、福井県・疋田にて塩津街道と合流した後、敦賀にて日本海にたどり着きます。

近江にはもうひとつ、彦根の鳥居本を起点とし越前へ向かう「北国道(ほっこくかいどう)」があって、ややこしいので今回ブログでは西近江路という呼び名を多用させていただきました。(実際、旧今津郵便局にいたガイドの方も、西近江路と呼んでいるそうです)

しかし、なぜこの西近江路が「北国道(ほっこくかいどう)」と海の字をわざわざ使っているのか、ここまで当ブログを読み進めていただいた方なら感づいているはず…。そう、北国海道とは北陸・日本海の恵みを運ぶ役割を持った、海(うみ)湖(うみ)を繋いだ道だったんですね。江戸時代にはそのようなイメージがすでにあったため、道標の多くに「海道」という文字が刻まれています。

 

今回西近江路を走ってみて、この道には東海道や中山道と違って宿場の名残らしいものや案内など、ほとんど残っていませんでした。でもやはり目を凝らせば少しずつ見えてくるものがあるのです。今回感じたのはその歴史の古さ…。東海道や中山道もその原型は古いけれども、五街道としての成立は江戸期です。現在残っている旧街道の名残には、江戸期以降の宿場や史跡といったものが多いように感じます。

しかし、この西近江路には、もっと昔の5世紀や6世紀(古墳時代~飛鳥~奈良時代)といった太古の香りが、北へ行くほど強くなるように感じました。現代ではおそらく意識する人は稀だと思いますが、どうやら北陸~湖西~奈良という人や文化の流れや繋がり(ひとつのエリア)が、この北国海道(西近江路)を辿ることで染み出してくるような気がするのです。司馬遼太郎が「街道をゆく」の第一巻の冒頭から、湖西の道として書き出しているのが西近江路のエリア。ここにはどうも稀代の歴史小説家も魅惑する、ミステリアスな雰囲気があるのでしょうね。

 

自転車を降りて西近江路から琵琶湖を眺めると、どこか時が止まっているかのような気がしたのも、このエリアの持つ独特の雰囲気なのでしょう。

西近江路サイクリング…、近江の様々な魅力が詰まった、滋賀県らしさを存分に味わえるコースです。

 

 

 

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