自転車で行く近江の城(1)膳所城・大津城

桜の見頃なのに・・・

今年の桜は西日本の開花が十日ほど遅れ、ようやく見頃を迎えた今週末は雨…
自然が人間の都合に合わせてくれることは無いとはわかってはいるもののやはり晴れてほしいものです。(^^;)

日曜日の午前に予定していたB_Mo cycleのサイクリングもそんなことで中止に。
が、午後は晴れ間がチョコッと出てきました。
「このタイミングを逃すなぁー!」とばかりに消防士の出動ばりにサイクルジャージに着替え、さっそく出撃!

と言っても昼から行ける範囲も知れてるので、ここはやはり大津周辺の「お城」を攻める作戦。
ならばせっかく桜の見頃をでもあるので、お花見ポタリングと行きますか…

このあたりでお城でお花見と言えば真っ先に浮かぶのが「膳所城跡公園」
その名の通り膳所城の跡地が公園になっていて、この季節は桜の名所として沢山の花見客で賑わいます。

さあシリーズ一発目は桜満開の膳所城からスタート。

膳所城とは


▲復元された本丸 大手門(実物は膳所神社に移築)

膳所城は徳川家康が関ケ原の合戦に勝利した後の慶長6年、京都大坂への備えとして交通の要所である瀬田唐橋近くの膳所崎に造らせた城です。
かの築城の名手「藤堂高虎」が初めて手掛けた城でもあります。
背後は琵琶湖、西側も天然の堀を巡らせた水城で、四重の白亜の天守閣が琵琶湖に写り込む姿は「日本三大湖城」のひとつに数えられるくらい素晴らしかったそうです。
当時の美観は「瀬田の唐橋 唐金擬宝珠(からかねぎぼし)、水に映るは膳所の城」と歌の中にも残されております。
当初は大津城主の戸田一西が入り、その後代々譜代大名が城主となります。
明治維新の廃城令により解体、一部城門などは付近の寺に移築され現在でも見ることができます。
また本丸は城跡公園となり、市民の憩いの場所として提供されています。

膳所城跡公園


瀬田の唐橋から湖岸を北上すると膳所城が見えてきます。(桜の向こう側に見える島のようなところ)
城の全域が琵琶湖に突き出して、正に浮き城。
このあたりは湖岸に遊歩道が設置されており、自転車で走ることできます。


城門横の案内図。この付近が広大なお城エリアだったことがわかります。


お城中央の石碑。この日はいたるところで花見客がシートを敷いてお花見中でした。


本丸の北側より。往時を偲ばせる石垣が残っています。琵琶湖の水位も当時とは違うのでしょうね。


本丸北側に天守閣跡の石碑がありました。入り口から奥まったところにあったんですね。この天守が琵琶湖に写る姿を見てみたいもんです・・・。


現在は公園となっている膳所城、遊具なんかも設置されており子供とのお出かけにもいいですよ。
お父さんは花見で日本酒でも・・・


短い晴れ間での花見ライドですが満開の桜が本丸内を埋め尽くした膳所城に満足!
この日は公園内が人だらけだったので自転車は入り口に止めましたが、普段は公園内も自転車で通ることもできますよ。
今日は移築された城門などは行ってないですが、それらを巡るのは自転車が便利デスね!

大津城跡へ

さて2つ目は「大津城」へ。
膳所城跡公園からは3㎞強、自転車で10分程度のところの浜大津にあります。
今日は湖岸の「なぎさ公園」を浜大津までノンビリと行くことに…

大津城とは

天正14年、豊臣秀次がそれまで大津近辺の要だった明智光秀の居城「坂本城」を廃し、新たに浅野長政に命じて築城させた城です。
その後、関ヶ原の合戦の際には当時の城主「京極高次」が大津城に籠城し、西軍を釘付けにしたことで
東軍の勝利に大きく貢献したことは歴史ファンの間では有名!?です。
(私はブログかきながら、「あ~、たしかそんなことをどっかで見た気がする…」程度だった)

跡形もなく…

大津城の現在です。

本丸の跡地に石碑のみとなっております。


場所は浜大津駅前の大津港側歩道に面したところ。
アーカスから歩道を真っ直ぐ進むと浜大津交差点の角にひっそりと設置されてます。


こちらも城郭が琵琶湖にせり出した水城で、かなり広大なエリアが城郭だったことが石碑の図でもわかります。
しかしその遺構はほとんど残っていない状況です。
でもある意味自転車で気軽にいける城跡ですよね・・・

私これまで何回もこの場所を通っているのですが、全く気付いていません。
山奥の城跡でもあるまいし、こんなに人目に付きやすい(駅前でもある・・・)のに、ね。

歴史的にも大きな意味を持った「大津城」、是非もっと光があたるようになればいいなあ。

膳所城跡公園および大津城跡の場所

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