ヤジキタ2018中山道自転車走破(最終日:今須宿~草津宿ゴール)

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日本橋から6つめの県

実は関ケ原からまでは、過去に自宅から自転車で走って来たことがある。その時は丁度輪行バッグを買ったばかりで、一度実際に使ってみたいと思って自宅から中山道を走ったのだった。なのでこの先の道はすでに経験済み。ましてや武佐宿あたりからはもう私の庭と言ってもいいくらいである。

だが、いつもと違うのは東京・日本橋から自分の脚で走って来た道の続きであるということ。草津まで無事に到達しなければ完走したことにはならないのだ。

馬籠から始まった「美濃中山道17宿」も「今須宿」で終わり。思えば東京都、埼玉県、群馬県、長野県、岐阜県と5つの都道府県を越えてきたのだった。

いよいよ6つめ、我が故郷「滋賀県」へ突入する。

と、私一人で草津への凱旋ゴールを思いながら盛り上がってると、Y工場長は若干ご不満の様子。Y工場長の中では2年前に旅立った東海道のスタート地点、京都「三条大橋」に戻ることがこの旧街道サイクリングを通してのゴールだったのだ。中山道の起点がどこかという問題ではなかった。自分たちの旅の起点への凱旋を望んでいたようだ。

とは言うものの恐らく日没には草津がギリギリで、三条大橋までは間に合わない可能性が高い。どうすべきか・・・「やっぱり三条大橋まで行きましょうか?」とY工場長に言うと、「エエよ、ワシ一人で行くわ!」と仰る。こうなるとなかなかの意地っ張りであるY工場長。ここはそっとしておいて、余力があればそのまま私も三条大橋まで行こうと心にしまっておいた。

寝物語の里

今須宿の先に岐阜と滋賀の県境がある。作家:司馬遼太郎はことのほか近江を気に入っていたようで、その著書「街道をゆく」第1巻の冒頭には、

「近江」
というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。

という一節から始めているほどなのである。

その24巻(近江散歩)に登場するのがこの地「寝物語の里」と呼ばれる場所だ。

国境というのは普通大きな川などとなっていることが多いが、美濃と近江の国境であるこの地は、わずか50㎝たらずの溝しかない。昔この国境を隔てて建っていた両国の旅籠の泊り客どうしが、壁越しに寝ながら話をできたということから付いた呼び名である。

近江路へ

ということで、ついに滋賀県に入った。

JR柏原駅の向こうには伊吹山が雄大なその姿を現した。伊吹山は滋賀の最高峰、と言っても標高1377mでしかないのだが周囲に他に高い山もないのでその存在は際立っている。中山道を通る旅人にも近江の国を印象付けた山だったろう。「古事記」や「日本書紀」にも登場するくらい歴史的にも重要な山である。

「中山道60番宿場:柏原宿」のある集落。町の青年団らしき人々が祭りの準備をしている横を通り過ぎていく。

柏原宿を過ぎると「中山道61番宿場:醒井宿」である。

醒井の地名の由来でもある「居醒の清水」や地蔵川の梅花藻など大変美しい風景のある宿場だ。滋賀の街道宿場の中では観光地として人気が高いところである。


▲地蔵川 梅花藻はまだ咲いてない

Y工場長は初めて訪れたとのことだったので醒井について案内させていただいた。

この先土産物を買うような場所はないので、土産を買っておくことにした。もう滋賀県なのに?と思われるかもしれないが、我々は自転車の旅である。荷物を増やすならできるだけゴール近くで、ということである。

お買い物ついでにヤマキ醤油の「しょうゆソフト」で休憩。やはりサイクリングとソフトクリームは切っても切り離せない。

Y工場長、ここで後にドはまりした卵かけご飯専用しょうゆ「ぴよ丸」と運命の出会いを果たす。自分用に買ったぴよ丸がたいそう気に入ったらしく、後日追加発注を受けたほどだ。おかげで私もぴよ丸と呼ばれる羽目に。

交通の要所なのに・・・

そんな醒井を過ぎれば米原だ。滋賀県唯一の新幹線の駅があるにも関わらずとても長閑な田舎町という不思議なところである。

しかし米原は現在においても交通の要所であり、名神高速道路や東海道本線、東海道新幹線といった日本の大幹線が米原を経由している。そんな場所を旧中山道も通っている、というか旧中山道に沿ってこれら現代の幹線が建設されたのだろう。

そんな交通の要所・米原にあった宿駅が「中山道62番宿場:番場宿」

今はこの小さな本陣跡が残るくらいであるが、この地が宿駅として機能していたころから旅籠も10軒程度と割と小さな宿場であった。今も昔も変わらないということか・・・。これだけの交通の要所なのに賑わいにならない不思議。ブラタモリでやってくれないかな?

今日のタモテ箱:『なぜ、米原は新幹線の駅があるのに都会化しないのか?』

摺針峠

さて番場宿を過ぎると、中山道最後の峠へと向かうことになる。

中山道は名神に沿って進み、徐々に上り坂となっていく。まぁ無理をする必要も無いのでのんびり登る。

滋賀県を通る中山道において唯一の峠となるのが、この先の「摺針峠」だ。越えると私の生まれ故郷彦根へと入る。

大した距離も斜度も無いのでノンビリ登り、

そして…

峠のついに琵琶湖が我々を出迎えてくれた!(写真ではまったくわからないが、フジテックのエレベーター試験塔の向こうに琵琶湖が広がっている・・・のだが。)

(目一杯拡大してみた。わかるかなァ・・・あとは皆様の想像力に任せよう)

峠の頂上辺りに望湖堂と言われる史跡があり、中山道を京へ向かう旅人はここで海のような琵琶湖に初めて出会うのだ。間違えて若狭へ来たのかと思った人もいたかもしれない。

まさに「うみ」だ。

普段見慣れている琵琶湖が、何故か懐かしく感じる。あぁー、我が故郷の風景…。良いよなぁ近江の国…

「うぉーい、もうエエか?琵琶湖なんて見飽きてんだろ、はよ行こうぜ!」

と故郷のとの再開に浸っている私を現実に引き戻す声。

「ハイハイ、行きましょか。」

Y工場長からすると、京都まで帰るつもりなので、こんなところでゆっくりしてる気分じゃないのであろう。

鳥居本~武佐


▲鳥居本宿のかっぱの看板

峠を下った先は「中山道63番宿場:鳥居本宿」である。

鳥居本には創業から350年経った今でも営業している「赤玉神教丸」の有川薬局や、名産品の合羽の看板が街道情緒を感じさせる街だ。

鳥居本からは「彦根道」という街道が彦根の中心へ向かって伸びており、その後彦根城下を経由して近江八幡へと繋がる「朝鮮人街道」という道になっている。

「中山道64番宿場:高宮宿」。宿場の中心にある多賀大社の参道「一の鳥居」が印象的だ。

ここから3㎞程先の多賀大社までの参道を「多賀道」と呼んだ。

江戸時代、「お伊勢参らばお多賀へ参れ。お伊勢お多賀の子でござる」とか「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」などという俗謡があちこちに伝えられた。これは今で言うコマーシャルソングのようなもので、全国へ多賀大社への観光誘致を図ったのであろう。

アニメ「けいおん!」で有名になった旧豊郷小学校を越え、次の宿場へ。

「中山道65番宿場:愛知川宿」

滋賀県以外の人には愛知川(えちがわ)と読めないと言われる、滋賀県の読みにくい地名の代表である。ここもウダツのあがる商屋が見られるなど街道情緒が残っている宿場だ。

最近「中山道愛知川宿街道交流館」という施設が完成し、中山道愛知川宿の情報発信の拠点となっている。また改めてゆっくりと来てみたい。

愛知川宿の先に愛知川があり、「無賃橋」と欄干に書かれた橋を渡る。川を渡るのがタダではなかった時代に、タダで渡れる橋をかけた人徳者がこの街にはいたのだ。

愛荘町を越えて近江八幡市へ入る。徐々に夕方の気配に・・・。

「中山道66番宿場:武佐宿」の本陣跡は自治会館だった。ここにも数年前まで旅籠が残っていたが、火事になって焼失してしまったらしい。

近江鉄道「武佐駅」にはガチャコン(滋賀県民は近江鉄道のことを親しみを込めてそう呼ぶ)が止まっていた。滋賀が誇るローカル鉄道である。

ガチャコンの一部の路線では、自転車をバラさずに乗せられ、かつ運賃はそのままという大変すばらしいサービスが普段からある。近江鉄道沿線には素晴らしい観光スポットがたっぷりあるので、自転車と電車を組み合わせることで面白いサイクリングとなるのだ。

守山にて

いよいよ草津まではあと守山宿を残すのみ。

中山道は東横関の集落を通りぬけ、日野川へあたる。昔はここを二艘の船で渡していたそうだ。写真の場所にはそのことが書かれている。現在は渡ることができないので、国道まで戻って向こう側へ。

その後は義経元服の地・かがみの「元服池」の前を通り過ぎ、大篠原の先で国道から離れ、桜生史跡公園の古墳群を横目に走る。

何度も何度も自転車で走り慣れ親しんだ道。もうスマホの地図を見る必要もない。いちいち立ち止まることもなく、すぐそばまで近づいた守山を目指すだけだ。

鳥居本で分かれた朝鮮人街道と野洲小学校の前で合流。

背比べ地蔵のある交差点を渡り、❝東海道❞本線(JR琵琶湖)のガードを❝中山道❞でくぐる。

その先には野洲川だ。川の向こうは守山市である。守山市は「びーもサイクル協議会」という自転車文化を広げるために活動する団体の拠点である。私はこの協議会に2016年から参加させていただいており、守山市は私にとってサイクリング仲間が多く集う街なのだ。

普段の休日には皆で走っている「中山道67番宿場:守山宿」の前は、この日は静かだった。厚かましくも誰か居てるんじゃないかなどと考えていたが、皆そんなに暇ではないだろう。

東海道では我らが働く会社の東京営業所メンバーが日本橋で出迎えてくれ、大感動のゴールだったことを思い出す。皆我らのために貴重な休みの時間を使ってくれたのだった。今回はその日本橋で大感動のスタートができたのだ。贅沢を言ってはいけない。

草津にはひっそりと静かにヤジキタ二人でゴールするのだ。今回はそれがいい・・・。

そう思いながら守山宿から離れ、今宿の一里塚に来たあたりで小さな子を抱えた夫婦に呼び止められた。びーもサイクルでお世話になっているS野さんファミリーだった。もう薄暗くなっている中、そろそろ通るだろうと近くでまっていてくれたのだ。まさかの登場にびっくりして一瞬ウルっと来てしまったが、世界一周してきたわけでもないし、こんなオッサンの涙顔なんて赤ちゃんへの教育上も良くない。でも気にしてくれる仲間の存在って本当に嬉しい!

いつかS野さんファミリーが自転車で旅行する時が来たら、その時はゴールでお出迎えしよう。(むさ苦しいだけのような気がするが・・・)

ゴールにて

もう遅いので話もそこそこにSさんとは別れてゴールへ。

いつもの守山からの帰り道でもあるこの道。Sさんにあったことで改めて中山道の長旅を終えようとしている途中だったのだと認識しなおす。しかしそれももうあと数キロ。

夕暮れの中いつもの道をじっくりと味わうようにゆっくりと走る。

栗東を越え、再びJRのガード下を潜り抜けて住宅街へ。その先、伊佐々神社を過ぎると草津の街中へと入る。見えてきたゴール。

駅前から始まる商店街のアーケード、人の通りも多く普段なら走りにくいのだが、今日はなぜかその賑やかさが嬉しい。

草津は天井川の街。

アーケードの先に旧草津川を潜る「マンポ(草津川トンネル)」が現れる。ここがこの旅の凱旋門だ。トンネル壁面に描かれた街道の絵はまさにこの一週間の走馬燈となっていた。

そしてその先に草津宿本陣。

ついにゴール!

6日前、我々は東京・日本橋にいた。そして自分の脚を回して6つの県を横断し「中山道68番宿場:草津」へとヤジキタは辿り着いた。・・・無事に。

ふと、その先に見慣れた顔があった。

草津の自転車仲間であるH部氏が、たった一人我らヤジキタのゴールを待っていてくれた。

H部氏は日中用事があったにも関わらず、わざわざ一旦家に帰って我らを出迎えるために再び出てきてくれたのだった。

ゴールに誰かが待っていてくれる・・・そのことがどれだけ嬉しく有難いことか!

我々二人だけではなく、H部氏ともゴールの感動を分け合うことができたことで、喜びはさらに大きくなった。

それと・・・同時に我々のゴールの証人となってくれた。

ということで証拠写真である。立会人のH部氏も入っていただいた。

果たして走破した距離は・・・・・、

なんとちょうど『600㎞』

大人の春休み特別企画『ヤジキタ2018中山道自転車走破』ここに終了。サラリーマンである我々ヤジキタが生み出せる最大限の時間を使っての冒険が終った。

自転車は自分の壁を壊してくれる乗り物ではないかと思う。経験が人を大きくする。かわいい子には旅をさせよ(我々は可愛くないが・・・)という諺の意味を、自転車を通して改めて感じる50歳手前の私。

初めて自分の脚で100㎞を超えた日・・・、乗っていない人にはトンデモナイことと思えるみたいだが、ちょっといい自転車に乗ると意外と簡単に超えられたのだ。そして初めて東京まで辿り着いた時、私の中では自転車で行けないところはないと思った。

今回の中山道は山への不安はあったものの、決して東海道の時のような未知の領域ではなかった。すでに自分の中で距離に対する壁はなくなっていたのだった。(むしろブルベのようなひたすら走る競技のほうがスゴイと思っている)

ブログでも大袈裟な挑戦っぽく書いたりしているが、言ってみればこの程度は単なる旅行である。やはり次は日本では物足りないかもしれない。

人生100年時代と言われている。だとすればまだ50は半分でしかない。

年金スタートが70歳からとか、老後の貯蓄や投資話や医療保険ネタで今の週刊誌やニュースは埋め尽くされている。そんなこと気にしてどうなるのか・・・。

むしろ大切なのは、そこまでの時間を様々な経験を得ることに費やす。それが人生を大事に生きるということではないか。そしてそれが自身の人生の価値につながるのではないか・・・という、また大袈裟な大義名分を思いつき、次の旅=人生に向けてまた企てを始めるのであった。

( ヤジキタ2018中山道自転車走破   完 )

ちなみに・・・、

Y工場長に草津駅からの輪行を勧めたのだが、なんと亀岡の家まで走ると仰る。そこでH部さんと3人で大津まで見送ることに。途中私の家に寄ってから近江大橋経由にて浜大津までのナイトライドである。あとはY工場長が無事に家までたどり着くことを願い、逢坂山の手前で送り出した。

途中お腹が減ったY工場長、ラーメン屋に寄ってから出発するときに転んだそうだ。

その後ディレイラーの故障もあってか幾度となくチェーン落ちが発生したため、神様から「もうその辺で帰ったら?」と言われていると解釈し、三条大橋までで旅を終えた。

ともすればやや慎重気味な私を、Y工場長がその冒険心や情熱でなんども火をつけてくれ、ケツを蹴ってもらっている。今回もY工場長がいなければ味気のない旅になったことであろう。ありがとうございます。また次はどこに行きましょうかね!

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