自転車でめぐる近江の旧街道~御代参街道

久々のテンチョーツアー

ストラーダ・バイシクル(近所の自転車ショップ)のオーナー:テンチョー井上さん。本格的な街道サイクリングの伝道師として、サイクリングツアー専門の会社(ライダス)まで立ち上げておられます。

そんなテンチョー井上さんがアテンドするサイクリングイベントが、スーパーGWの最終日に実施されることに!

その名も「GWラストグラベルツーリング」!

しかも行先は「御代参街道」というではありませんか! テンチョーの旧街道サイクリングはホントに久しぶり。そういえば私が今の自転車を買って初めてテンチョーにアテンドいただいたのが中山道。そこから旧街道にハマり、東海道と中山道を走破するきっかけになったんだもんなァ…。

そんなレアキャラ・テンチョーの御代参街道ツアー、これは絶対に外せないイベントなんです!

 

 

御代参街道とは

御代参街道とは、東海道の土山宿から中山道の愛知川宿手前・小幡までを繋ぐ、約36㎞の旧街道です。

江戸時代には京都の皇族の方々が、伊勢神宮と多賀大社へ名代(御代参)を派遣する習慣がありました。毎年正月と五月・九月に名代は伊勢へ参拝したあと、土山からこの街道を通って、愛知川までをショートカットして多賀大社を目指したんですね。いわゆる脇往還と呼ばれる道です。

滋賀県民なら、「お伊勢参らば、お多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」っていう歌を一度は耳にしたことがあると思います。えっ、知らない?

ウチは初詣には必ずと言っていいほどお多賀さんへ行ってましたが、「また今年もお多賀さんなん? もー、いつも同じで飽きるわ…」って言うと、親は決まって「お伊勢お多賀の子でござるって言うてな、お多賀さんは凄い神さんなんやで!」と言って、またいつもの多賀大社へと向かうことが我が家の一年の始まりでした。

 

https://www.bicyclemap.net/map/mymap.php?mmid=3770&z=11&ll=35.066834_136.231665

御代参街道のマップ

 

いざ、御代参街道へ

御代参街道…、前から行きたかった街道ですが、いまいちルートがよくわかってなかったんです。そこに出てきた今回のイベントの件、まさに渡りに船な話。

当日はJR草津線・貴生川駅に集合。そこから旧東海道を土山宿まで走り、御代参街道の分岐を目指します。

歌声橋を渡った先で国道1号線と合流。その先にある「南土山」の交差点、そのまま斜め右方面が東海道です。向い側になにやら道標が見えます。

「◯× たが ※~  ひの八まんみち」

なんとなく読めたのかな?

崩した漢字の部分はよくわからないですが、読み取れたひらがなを見る限りは、この道が多賀・日野・近江八幡方面へ通じる道だということがわかります。

後で調べると「右 北国たが街道  ひの  八まんみち」と読むのだそう。

 

この御代参街道、走り出してすぐ写真のような案内板が現れます。割と最近設置されたものなのでしょうか? 積極的に街道の保存がなされようとしていることがわかります。この案内板はこの先も要所要所に出てきますので、先々迷うことなく進めるようになっていました。西近江路とはエライ違いですね。

 

野洲川を越えたところから、細い農道を進みます。最近はどこの田畑もこのような獣害防止柵が設置されています。開けたらちゃんと閉めないとね。

 

笹尾峠越え

田んぼ道を抜けて右へ入った先にある集落からいよいよ山へと入ります。旧街道名物・自転車担ぎ、スタート! 旧街道サイクリングでは自転車は担ぐものなんです。自転車選びの際にもここは重要なポイントとして考えておきたいところ。といっても私の場合普通のアルミロードですが…。

 

距離は大したことはないのですが、かなり荒れ果ててしまっており、担いで歩くにもなかなか歩きにくい…。

この山道の先で突然視界が開け、住宅街らしき場所が現れます。

地図上にも、なぜか山中に整然とした場所があるのがわかると思います。「緑ヶ丘」と言って昭和50年代に造成された宅地のようですが、ポツポツと家がある程度でほとんど空き地です…。当時は高度経済成長の真っただ中だったから、こんな山の中でも開発の手が入ったのですかね。今は草だらけの宅地が広がる寂しい光景となってます。そんな住宅街の脇を街道は進みます。

 

住宅街の先の熊笹に覆われた細道が御代参街道です。ちゃんと案内板が街道を示してくれてます。これ無かったら絶対わからへんわ…

 

この辺りが「笹尾峠」。この道には似つかわしくないくらい立派な新しい道標が立てられてます。

しばらくは熊笹に覆われたタイヤ一本分くらいの道が続きますが、笹尾峠の笹はこの熊笹が多いことから名付けられたのでしょうかね?

 

峠を抜ける手前に荒涼とした大地の広がる場所へと出てきました。と、思ったらどうやら採石場の上に出た様子。でも見晴らしがとっても良く、どこか外国にでも来たかのような不思議な風景です。

その先もしばらくはグラベル区間が続き、ようやく県道41号に出ました。現在の御代参街道とでも言える県道41号線。土山から近江八幡を結びます。

ちなみにこの笹尾峠のあたりに、中世の山城「鎌掛城(かいがけじょう)」があったそう。藪がひどくてとても入っていけない感じですが、「近江の山城を歩く70」(中井均編・サンライズ出版)によると、石組の井戸などが残っているらしい。

 

鎌掛宿~日野宿

峠を抜けるとそこは日野町・鎌掛の集落。御代参街道の「鎌掛宿」があった場所です。今は宿場の雰囲気はほぼ残っていません。ただどこの街道沿いもそうなのですが、立派なお家が多いです。

 

途中、送電線の真下を通る場所が…。 何にもないこういった景色と自転車って何故か似合います。その後、本来の御代参街道は南砂川沿いを進んだそうですが、今は道がありません。一度しゃくなげ街道にでて回り込みます。

 

回り込んで日野川を渡った先にお堂がありました。こういった建物も街道風情を盛り上げてくれます。

 

そこから日野の街中へ入っていき、日野商人街道にぶつかります。ここには大きな常夜灯と、いくつかの道標がありました。日野を訪れた時にも何度か目にはしてましたが、ついにこの場所へ御代参街道を辿って来ることができました。

御代参街道は近江商人の道でもあります。近江八幡や五箇荘、日野といった多くの近江商人を生み出した土地を繋いでいるのです。大きな常夜灯は、御代参街道を行き来した近江商人の力の大きさを今に伝えているようです。

ちなみにこの常夜灯や道標には「いせみち」とあります。この土地の人にとっては、御代参街道から東海道へ抜け、伊勢を目指すための道なのですね。

 

 

石原宿~八日市

この後、なぜか非常に短い間隔で宿場の集落が続きます。日野から次の石原宿までは5㎞未満。さらに次の岡本宿には2㎞に満たない距離なのです。一体なんでこんなに短い距離に宿場があるのですかね…?

本陣跡の碑がありました。石原宿と岡本宿はほぼ一つの宿場と言ってもいいくらいの距離でしかないのに、ちゃんとそれぞれ本陣を設置したのですかね?推測するに東海道や中山道といった大街道を凌ぐ往来があったとかで、宿場が沢山必要だったのでしょうか…

 

岡本宿の先にレトロな建物が目を引く「ガリ版伝承館」がありました。今の若い人は知らないでしょうけど、私達の小学校時代どころか、平成に入ってからもバリバリ利用されていた謄写版印刷機(通称・ガリ版)を開発した、岡本村出身の堀井父子の功績を伝える施設です。初めて立ち寄りました。ということは、ガリ版も滋賀から生まれたということ!?

ここは改めて地球の歩き方で紹介したい、面白そうな場所ですね。

 

蛇溝という地区のお堂の側に道標が残されていました。御代参街道には他にもたくさんの道標が残されており、沿道地域の人々と街道のつながりの深さを感じます。

 

御代参街道は布引台の住宅街の中を進んでいきます。ここでも道標が残されていました。

 

細道をまっすぐ進み…

 

八日市の街中へと入ります。この建物、いったい何の建物なんでしょうか? 街道沿いでひと際目立つ存在感。街道とゼロ戦? ミスマッチ感がハンパないですが、昭和な感じに何故か萌えますね。(他のサイトには映画館ともありましたが、定かではありません)

 

 

道はT字路に差し掛かりました。目の前には「親玉本店」という和菓子屋さん。この角には立派な道標があります。こうやってみると八日市もまだまだ街道風情が残る街だったのですね。

御代参街道は別名「市道」とも呼ばれています。八日市の地名の由来でもあるのですが、聖徳太子の時代から八の付く日に市場が開かれており、戦前まで続いていたそうです。この八日市は、近江八幡から三重県四日市を繋ぐ「八風街道」との合流地点となり、多くの近江商人達が集まった場所であったと想像できます。

 

その先はなんとアーケード商店街になってました(休日だというのにかなり閑散としてますが…)。これも御代参街道なんですよね。アーケードを抜けると近江鉄道・八日市駅です。

 

今回の御代参街道サイクリングはここまで。残りはまた今度…ということで。

 

帰りは近江鉄道サイクルトレインに自転車ごと乗って貴生川まで戻ります。

そう言えば、街道の側を常に近江鉄道の路線が走っていたような…と思って後で地図を見ると、やはり日野から五箇荘までは近江鉄道と御代参街道は並行してるんですね。おそらく路線を決定する際に、御代参街道の街に沿って作られることになったのでしょうね。戦前まではここ八日市も大いに賑わっていたようですし。

旧東海道沿いの鉄道が「関西鉄道(現在のJR草津線)」なら、旧中山道沿いが「国鉄東海道本線(現在のJR琵琶湖線)」。当時鉄道が県内に敷かれたときに、内陸部である愛知郡、神崎郡、蒲生郡といったあたりが陸の孤島状態になるのを危惧した地元の有力者達が、資金を集め近江鉄道を設立したそうです。その有力者とはまさに近江商人達でした。

ですからきっとこの近江商人の道である「御代参街道」と、近江鉄道の路線は深く結びついているのだと感じます。そんなことを考えながら、自転車を片手に車窓を眺めて揺れて行くのもなかなか良いもんです。

 

 

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