間の宿
「間の宿」って知ってますか?宿場町と宿場町の間に設けられた休憩のための集落です。
各宿場町の距離は平均して10km程度あったりしますので、途中お腹が減ったり喉が渇いたりといったこともあったでしょう。
そんな旅人のニーズに応えていたのが間の宿でした。
時代劇で旅人が街道沿いの団子屋で休憩しているシーンがあったりしますが、多分そんなイメージ!?
江戸時代のサービスエリアとも表現できるかも。
旧東海道を草津宿から石部宿に行く途中にも間の宿が2つもあります。
一つは目川立場。ここはなんとあの「田楽」発祥の地。(田楽=豆腐を串に刺して味噌を塗って焼いたもの)
現在も栗東市目川という地名です。
草津宿からは2km位の距離なので、「休憩早くない?」って思いますが、恐らく草津宿とは草津川を挟んだ位置にあるところを考えると、
京都方面へ行く人が川の増水なんかで足止めされて利用したんだろうなぁって思います。
そこからさらに石部宿へ4km程行ったあたりに「梅の木立場」があった六地蔵村があります。
六地蔵の一里塚跡碑を越えて間もなく、ひときわ目に付く年代を感じる建造物が目に飛び込んできます。
それが「旧和中散本舗」という江戸時代の薬屋の史跡です。
和中散
「梅の木立場」というだけあって、この辺りには大きな梅の木がありました。
ここで大角氏を名乗った「是斎(ぜさい)」は京都の名医「半井(なからい)ト養」の娘を娶りました。
その際に和中散や奇妙丸(小児薬)の製法を引き出物として贈られ、これをもとに東海道沿いの梅ノ木の下で薬売りを始めたのです。
慶長16年のある日、徳川家康が近江の永原を訪れたときに腹痛を起こしました。
その時に勧められて飲んだ薬が是斎の「和中散」。
和中散を飲んだとたん、たちまち快癒したことから
大いにその名が評判となりました。
評判が全国に知れ渡るとその後、この梅ノ木立場には5軒の和中散の店が並びます。
当初大角家が「本家ぜさい」を名乗っていたものの他店との商号争いも激しく、
膳所藩をバックにつけた織田家に「本家ぜさい」の称号を奪われてしまいます。
いつの世もこういった商売争いはあるものなんですね。しかしこの争いは世間の興味を引き宣伝にも繋がったと言うから、何が起こるか分からないよなぁ…
そんな和中散の店も今ではこの「大角家」のみが残っており、それが「旧和中散本舗」として保存されているのです。
旧和中散本舗を見学
「旧和中散本舗」は第24代当主大角弥右衛門さんのおウチでして、現在もお住まいになってます。
そんなこともありますが普段は扉は閉まっており中を見ることは出来ません。
予約して特別に開けてもらうか、月1回の一般公開の時を狙って行く必要があります。
この日は一般公開の日だったので、雨戸を全開にして道沿いから建物の中が丸見えになります。
昔もこうやって旅人に軒先で休んでもらったのでしょうね。
入り口近くに湯釜があり、ここで薬湯を作って旅人に振る舞ったのだそうです。さながらサービスエリアの湯茶サービスみたいな…
和中散はその評判からお土産としても重宝がられたのので、飛ぶように売れたんでしょうね。
店の玄関を挟んで右端には直径4mもある動輪が!
この動輪は歯車で石臼を回すようになっており、中に人が入って回すんだそうです。
なんとなく手打ちうどんの実演販売みたいな感じですかね。きっと薬が轢かれる様子は大いに宣伝になったと思います。
こちらは代金箱。賽銭箱ではありませんよ。
客から受け取った代金はひとまずこの箱に放り込んでおいて後で精算するようになっています。
昔の店に掲げられていた「わちゅうさん」の看板。東海道を代表する薬だけあって非常に立派なものですね。
一時は織田屋に移った「本家ぜさい」の看板もこちらに戻ってきています。
小休み本陣
旧和中散本舗が旅人が休憩するための場所となっていたことはご紹介したとおりなのですが、
ただ旅人は一般人だけではありません。大名や皇族などの要人も当時は同じように東海道を行き来するのです。
ということで、梅ノ木立場にも要人専用の休憩場所が当然ながら必要になります。一般の旅人に交じって軒先で薬湯飲んでゆっくり
するわけにはいきませんから・・・ね。
そのニーズに対応するため大角家には「小休み本陣」というものが増築されました。
宿場町には「本陣」といって大名などの要人専用の宿泊場所が用意されていますが、この「小休み本陣」は宿泊機能はないものの、
大名などが本陣と同じように特別扱いを受ける休憩施設。いわばVIPルームですね。
入り口は別に設けられた「小休み本陣専用の門」となっており、ここへ籠に乗ったまま入ってくるわけです。
小上がりとなる場所には技巧を凝らした立派な欄間が出迎えます。
入ってすぐに襖絵があります。奥の間には「曽我しょうはく」作の襖絵がありましたが現在は博物館に保管されています。
奥の間に入ると、
小堀遠州作と伝えられる庭園が現れました!
庭の向こう側には日向山が姿を見せ借景となっています。
国指定の名勝となっており、数々の大名達もここからの景色を賞賛したとの記録が残っています。
部屋の中から見るとまるで額縁の中に収まった絵画のようです。
部屋には御簾がかけられ、外からは見えにくくなっており、また玉座も設けられています。
明治天皇もここを訪れ庭を鑑賞したとのこと。
その時の草履が今も展示されてます。
その他にも、
ここを利用した各大名達のお椀などが残っています。
これらは大名が持参してきたもので、家紋には徳川家や島津家といった家が見られます。
また有名どころではシーボルトもここで休憩し和中散を買い求めたということです。
まとめ
旧和中散本舗のように間の宿で当時の様子を限りなくそのままに残されている史跡は少ないのではないでしょうか…
現在、当主の第24代大角弥右衛門さんは他界されていますが、娘さんや地域のボランティアの方々で維持されてるそうです。
国指定の名勝となったことで自分の家なのに物一つ自由に動かせなくなったと明るく笑いながらお話されているのが印象的でした。
史跡の保存は様々な人達の努力の賜物なのですね。
こうやって興味を持ったりブログに書くことも何かの一助になればいいなと思います。
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「旧和中散本舗」大角家住宅
〒520-3017
滋賀県栗東市六地蔵402番地
TEL077-552-0971
アクセス:JR手原駅から徒歩約30分
※普段は予約が必要
※公開中は10時~16時(料金400円)
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