小関越えとは
前々から行きたいと思いながら行けていなかった「小関越え」のルート。
たまたまですが、今度京都に住む会社の後輩が初めてのビワイチにチャレンジするため、当日浜大津まで自走で来るのですが、後輩君はこの春岩手から来たばかりで道を知りません。なので京都~大津のルートの予行練習としてサイクリングすることになりました。
メンバーは私と後輩M君、それにS先生の3人。(S先生は私の歴史の師匠でもあるサイクリング仲間です)
ってことで、ホントは最短のルートを教えてあげるべきなのでしょうが、ついついS先生に「どんなルートで今日はサイクリング行きます?」って
相談になって、Funazushi-maru希望の「小関越え」にチャレンジすることにしてしまいました。
ここで「小関越え」についてちょっと説明しておきます。
江戸時代、京都へ入る方法としては東海道を大津宿から逢坂山の関を越え、髭茶屋追分より三条通りに入るのが王道のルートです。
実はこれとは別に三井寺の脇から三条通りへ抜ける裏道があるのです。それが「小関越え」というルート。
逢坂山の「大関」に対して「小関」なんですね。
ちょうど京都からは三井寺に行くための近道でもあったようです。
ビワイチ当日はおそらく通らない(まったく予行演習になってない??)ルートですが、まっ自転車乗りなんてそんなもんです。
楽しくサイクリングできれば!(趣旨かわってます・・・)
小関越えから大津へ
S先生のアテンドで集合場所の平安神宮から(もちろん私は自走ですよ、行きは逢坂山で。)出発!
旧東海道にて三条通りをまずは山科駅まで進みます。
小関越えは三条通りから「横木1丁目」(国道1号線に出る直前あたり)のあたりに道標があるので、そこを北に入っていきます。
今回は山科駅より疎水に沿ってしばらく走っていくルートを案内してもらいました。
疎水沿いの道は未舗装なので自転車では走りにくいですが、桜の季節や秋は景色がいいのでしょうね。
しばらくすすんで、「普門寺」の前まできました。
ここからアスファルト舗装の広めの新道とコンクリート舗装の細道である旧道に分かれています。
もちろん旧道で!(ただしかなり道は悪く、結構激坂です!)
坂自体は1㎞弱と短いですが、あまり休むポイントもなくひたすら登るので中々ハード・・・。
しかも濡れているとトラクションがかからずスリップする始末。
とかなんとか言いながらも脚付かずに登り切りました。この日はかなり日差しもキツかったので汗だくです。
新道に合流したあたりがほぼ頂上なので、そこからは下りになります。
小関越えの新道の頂上あたりに地蔵さんがありました。その名も「峠の地蔵さん」。
この先はもう大津です。意外と近い、感じ? たしかに三井寺の近道です。歩きでのこの距離感は大きかったでしょうね。
ここでドタキャンがあって予定があいたHさんが合流。懸命に大津側から小関越えを登ってこられるところでした。
小関越えを下ると大津市 長等という地域。
小関越えの道標がありました。ここにも蓮如上人の文字が見えます。
「かたたげんべえのくび」?・・・なんか恐ろしい言葉が書かれております。
S先生によりますと、後の浄土真宗の宗主:蓮如は延暦寺から京を追われた際に三井寺に大事な親鸞聖人の像を三井寺に預けたのですが、
それを後に取り返そうとしたときに三井寺は代わりに首を持ってこいをいったのだとか。
その時熱心な蓮如の信者であった「堅田の源兵衛」が自ら身代わりになって首を差し出したことで像が帰って来たという、
美談と一言では言いづらい微妙な物語があったみたいです。
大津絵の店
長等神社の参道から100mほど下ったところに「大津絵の店」というお店がありました。
「大津絵」って皆さんご存知ですか?
私も知ったのはここ2年の間でして、最初に見たのは地酒「神開 大津絵ラベル」だったと思います。
独特の色彩と画題が印象的に感じました。
「大津絵」は江戸初期に大津宿や逢坂の関付近で数多く売られていた庶民の絵です。仏画としてこのあたりで書かれていたのが発祥らしく、キリシタン弾圧の頃に「私は仏教徒ですよ」って示すための免罪符として重宝され、東海道を通る多くの旅人が買っていったのだとか。
芭蕉も「大津絵の筆のはじめは何仏」と詠んでいるように大津の名物だったようです。
上の写真にあるような「鬼の寒念仏」という画題は鬼が僧侶の格好をしている絵ですが、これは格好は善人のようでも中身は鬼=要するに偽善者を皮肉った風刺画なんです。
しかしなんともユーモラスですよね。
元は仏画だったものが時勢や流行を取り入れて次第に風刺画の要素も入ったこのような画題へと変遷していきました。
「大津絵」の性格としては宿場町大津のお土産品なんでしょうね。
今でも観光地に行ったら観光地のデザインや流行のフレーズが入ったTシャツがありますが、当時としてはあれと似たようなものだったのかもしれません。
といっても、当時は沢山の観光客に手描きで対応するしかありません。
大津絵の場合は同じ図柄を沢山書くために数枚の紙を並べ、同じ図柄の同じ色を続けて描いていきます。
輪郭である墨は最後に描くことで、細かい仕上がりを気にせず素早く描くことができるのだそう。また色は7色位あるそうですが、だいたいメインは墨の他、朱色、緑、白の4色。
色数を絞るのも手早く書き上げるための秘訣なんでしょうね。(ちなみに青色の顔料は当時は貴重で高価だったので使われなかったとも聞きました)
手早く書き上げるための工夫は結果的に画題自体も絞っていきます。
当初はたくさんあった画題も、人気のあるものに徐々に絞られていき、最終的には百数種程度に集約され、江戸後期は人気は10種程になりました。
こうやって独特の画風になっていったんですね。
江戸時代には京都の玄関口として発展した大津も近代化の煽りを受けて、鉄道も車も通り過ぎるだけの街となり、それと共に「大津絵」も廃れていきました。
そんな「大津絵」も今では残るたった一軒が伝統を引き継いでいらっしゃいます。
この「大津絵の店」は、その方が営んでおられるお店なんです。
店内には所狭しと「大津絵グッズ」が…
すでに伝統工芸となってしまった「大津絵」なので、かなり高額な商品もありますが、
携帯ストラップや、
一筆箋、絵葉書など気軽に買えるものも。
私は大津絵のお猪口を買って帰りました。これで滋賀の地酒を飲みたいなぁと思って…
他にはない珍しさのある「大津絵」。滋賀の気の利いたお土産として面白いと思います。
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「大津絵の店」
滋賀県大津市三井寺町3-38
電話:077-524-5656
営業時間:午前10時~午後5時
定休日:第1・第3日曜日(祝日は営業)
★JR大津駅から徒歩20分または、車で5分
★京阪三井寺駅から徒歩10分
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元祖阪本屋の鮒鮨
とくれば、日本酒と酒のアテが欲しいところ…(^^;)
長等には老舗の鮒鮨屋があります。
こちらが「元祖 阪本屋」さん
元は江戸時代に膳所藩御用達の料亭でしたが、明治の頃に鮒鮨の製造販売専門となり今の長等で150年続く老舗です。
鮒鮨がありました…(当たり前ですが)
が、あまりに高級過ぎて自転車でプラッと来て買って帰れるようなお値段ではありません…
さながら高級ブティックの商品をウインドウショッピングするようなもんです。
と思ったら私でも気軽に買えるものがありました!
「鮒鮨の頭」50円
「湖魚の佃煮」300円~
鮒鮨の頭ってどんな食べ方するんですか?ってお店の方に聞くと、「少しカットしてからお湯かけたあと、醤油をちょっと垂らすと美味しいですよ。」とのこと。確かになんか美味そう!
「ウチの店の漬け具合も分かってもらえると思います…」と店員さん。いきなり高いの買って舌に合わないと良くないからと言う味見としての意味も鮒鮨の頭にはあるんですね。
ということで、鮒鮨の頭とタテボシの佃煮を買って帰りました。
タテボシもシジミと同じく琵琶湖の貝の一種で、シジミよりもひとまわり大きく食べごたえのある食感と旨味が美味しい貝です。
日本酒は近江大橋を渡ったイオンモールで手に入れて、今宵は大津絵で一杯!
元居酒屋マスターさんから頂いたアドバイスによると、鮒鮨の頭は軽く炙って砂糖醤油か味醂醤油をかけて食べるのも絶品だそうです。(これ、絶対試してみたい!)
今回のサイクリング、私の好きな自転車と歴史街道と
日本酒を全部盛ってみました!って感じデスね。
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「元祖 阪本屋」
滋賀県大津市長等1-5-21
電話::077-524-2406
営業時間:午前9時~午後6時
定休日:日曜日
★JR大津駅から徒歩12分
★京阪浜大津駅から徒歩7分
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