ヤジキタ2018中山道自転車走破(奈良井宿~宮ノ越宿)

ハプニング発生⁉

奈良井宿の雨は夜が更けるにしたがって、さらに雨脚が強まっていた。雷もゴロゴロ鳴っている。このまま嵐のような天気が翌日まで続くのか・・・1週間の旅だ。こんなこともあるだろう。

明日の宿泊地である「妻籠宿」まではおよそ60㎞。峠を無視して普通に走れば3時間程度で着いてしまう距離だ。最悪はギリギリまで宿で嵐が過ぎるのを待って、天気が落ち着いてから出発するなんてことも出来ないことはない。我ながら天気までも計算に入れていたかのような、絶妙なコース配分である。

 

翌朝、まだ雨はしっかりと降っていた。

ただ天気予報を見ると、割と早い時間で雨が止むようである。じゃあ、今日は少し出発を遅らせてみるか。せっかくの奈良井宿の老舗旅館に泊まっているのだし満喫させてもらおう。

と思ってたら、あれだけ激しく降っていた雨も9時ごろには、ほぼ止んでいた。

伊勢屋さんが宿泊客の写真を宿のブログにのせるというので、写真を撮ってくれた。ただ前日飲みすぎたからか、寝過ぎたからか、はたまた長旅の疲れか二人とも顔がかなりむくんでおり酷い…見るに耐えないので、写真はアップしないでおく。このオッサン二人の姿は、宿の価値を大きく貶めてしまうんじゃないかとやや心配ではあるが。

 

この日は奈良井宿のお祭りがあるようで、朝から地元の方々が準備に取りかかっていた。1日違いだったかと思うと少し残念だ。そんな祭りの準備の脇を通り抜け、奈良井宿を出るとすぐ次の難所「鳥居峠」だ。

が、ここでこの旅最大のアクシデント発生!?

Y工場長、自転車のハンドルに引っ掛けていたヘルメットを側溝に落っことしたのだ!

溝は幅が1mくらいのものではあるが、深さが1.5mくらいで、山の水が勢いよく流れていた。落ちたヘルメットはそのまま数メートル一気に流されていく。焦りながらもY工場長、流れていくヘルメットに先回りし、足を伸ばして何とかキャッチ。

折しもつい先程までの豪雨で水量が増えていても良さそうなところ、思ったほど溝に流れる水が少なかったのが幸いした。ヘルメットが無くなったからといって旅が終わる訳ではないが、ヘルメットが無いことで転倒して命まで落としては元も子もない。

Y工場長には申し訳ないが、この絶好ネタの写真を撮りそこなったのは若干残念ではある。

 

では気を取り直してちゃんとヘルメット装着。

 

鳥居峠で国際交流!

鳥居峠は奈良井宿から藪原宿までのおよそ6kmの山道だ。

日本遺産に登録された木曽の旧街道のなかでも、特に人気の高い奈良井と妻籠の間にある峠だけあって、しっかりトレッキングコースとして整備されている印象。いきなり雰囲気のある石畳が出迎えてくれた。要するに今日はスタートから自転車に乗らないってこと。

熊出没の看板があちこちにある。この旅2度目のラジオ登場!

 

道は細いが、さほど急な坂も無くて歩きやすい。案内板や橋なども割りと最近整備されたのか新しさを感じる。

時たま雨がポツリとはくるものの大したことはなく、清々しいトレッキングである。

 

一里塚を越えてしばらく行くと休憩所らしき場所に出た。するとそこで、なにやらカラフルなウェアに身を包んだ背の高い集団に出くわした。

外国人旅行者のようである。

彼らは我々が突然山道から自転車を押してやって来たのを見て、珍しそうにガン見してきた。おかしな日本人発見と言った感じだろうか。

ここは日本男児として負けるわけにはいかない。ろくに英語もしゃべれないくせに、(そもそも相手が英語圏かどうかもわからないが・・・)おもいっきり笑顔で「ハロー!ナイスミーチュー」と先制攻撃!

彼らも我々が多少なり言葉の通じる奴らだと思ったのか、やたら自転車のことを聞いてきた(なんとなくそう感じただけかも知れないが…)。こう見えても私は英語をしゃべるのは苦手だが、ヒヤリングは得意なのだ。(ホンマか?)

彼ら曰く、「お前たちはこの自転車でここまで来たのか?クレイジーな奴らだ!」「その自転車のタイヤは何センチだ?細すぎるだろ?」「俺はアメリカでマウンテンバイクを乗ってるが、ここはマウンテンの方がいいんじゃねーか?」「その自転車のメーカーはどこだい? ワオ!スペシャライズドか。俺の国のメーカーだよ!」等々。多分そう言っているように私には伝わった。なのでこちらも必死で答える。ただ質問の内容が自転車のことなので意外と共通用語も多く伝わりやすかったのかも知れない。こんな場面でも自転車は国境を越えて人と人を繋いでくれるのだ。自転車ばんざーい。

と、必死こいて慣れないコミュニケーションに挑んでいたら、一人の外国人のリーダーらしき人が大変流暢な日本語で話しかけてきた。(なんだよ!喋れるヤツいるんじゃないかよ!)と、ちょっとコッパズカシイ感じではあるものの、そのリーダーと日本語でお互いの旅について説明。

彼は日本に長く住んでいる方で、あちこち日本中を旅して、日本が大好きになったので、こうやって日本の風景を紹介するツアーを企画してガイドをしているらしい。彼らは我らとは逆に中山道を東京まで向かうのだそうだ。

彼の名はトムと言って、「WALK JAPAN」というツアー会社でアドバイザーをしている。彼の話をもっと聞きたいが、お互いスケジュールがあるので、ここらでお別れだ。

持ってきた草津市ゆるキャラの「たび丸」ステッカーを、あるだけ全部彼らにプレゼントした。「この中山道の先に草津宿という宿場があって、そこのマスコットキャラクターだ。」とトムに説明。トムは英語で他のツアー客に説明してくれた。もしかしたらいい迷惑かも知れないが、これで私の草津市広報活動は任務を果たしたことになるだろう。

 

藪原宿から宮ノ越宿

トム達と別れてさらに自転車を押し歩く。

ここらが頂上なのか神社があった。御岳神社といい、石碑がたくさん並んでいた。木曽と言えば「木曽義仲」という武将が有名だ。その木曽義仲がここに鳥居を建てて戦勝祈願したことから鳥居峠となったという説もあるが、実はその前から鳥居峠と言われていたという説も。

ここからは御嶽山が望めるということだが、果たしてあの山がそうなのか?天気がイマイチなのが残念。

おそらく今から降りていく「藪原宿」の街並みではなかろうか、麓を見下ろすことができた。

 

結局峠を越えるのに2時間程度要しただろうか。気が付いたら昼前の時間である。

麓の藪原宿には昨晩いただいた地酒「木曽路」の酒蔵があった。信楽焼の狸がこんな木曽の山奥の酒蔵にもいたが、こいつらは滋賀でも最も全国区的有名な存在かもしれない。

 

一山超えたせいか腹が減った。たまたま目に入った焼き肉屋へと飛び込む。

木曽だからといって和食ばかりではどうにもパワーが出ない。ここは木曽牛だ!

やっぱりこの旅は蕎麦には縁がなさそうだ・・・。

 

木曽義仲ゆかりの地

「宮ノ越宿」は木曽義仲ゆかりの地。思えば東海道沿いにある滋賀の義仲寺について当ブログで書いたとき、義仲についてを知ることになった。

木曽義仲と呼ばれているが源義仲という源氏の武将の一人である。詳しく書くと長くなるので超約っぽく説明すると、政治力の大きくなった平家がうっとうしくなった朝廷側が源氏に「平家邪魔だから追討してね!」って全国の源氏に声を掛けた。(実は全国に源氏の流れを組む武将たちがいたのだ)で、義仲もここ木曽から立ち上がって快進撃を続け、なんと都までたどり着き平家を追い出すことに成功したという源氏側のヒーローなのだ。源氏といえば源義経や頼朝、光源氏?が有名だが、源氏が勢力を取り戻すキッカケをつくったのは、実は木曽義仲なのである。

ということで地元の英雄なのである。

宮ノ越宿の手前にある「巴淵」。木曽川の景勝地だが、巴と言うのは木曽義仲の愛妾と言われている女性。しかしこの巴御前もただものではなかったようだ。

宮ノ越宿も割と新しい本陣跡が整備されている。木曽義仲という有名人がいると観光予算も付くのだろう。

こちらも立派な資料館「義仲館」。

建物の前には勇ましい木曽義仲と、さらに勇ましい姿の女性が。この方が巴御前である。義仲の平家討伐にも従軍したと言われた女武将だったらしい。つまり日本史上とっても血の気の多いカップルだったのだ。

巴御前は義仲が琵琶湖畔で討ち死にした後、その場所に墓を建てて死ぬまで弔ったのが現在の大津市にある「義仲寺」だそうだ。滋賀との繋がりを感じるエピソードである。

我らは自転車で滋賀に向かうが、この方々は徒歩で甲冑着けて、しかも道中闘いながら進軍したのだ。昔の人ってスゴイ・・・。

 

次は「福島宿」。ここも大きな宿場町である。その手前にあったのが、

「中山道中間地点」の碑だ。漸くというかまだ半分なのだ・・・。ブログ的にももう十分といった感じかもしれないが・・・。ということで今回もここで前半終わりにしておく。

 

 

 

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