最終日スタート!
こんにちは、フナズシマルです。
いよいよ「ヤジキタ2020甲州街道サイクリング」シリーズも今回がラスト。
行ったのが確か9月だったから、ここまで3ヶ月も経ってしまうなんて…。随分と筆が遅くなってしまったものです…。
言い訳すると今回は動画にチャレンジしたので、先にそちらを仕上げてからブログに取り掛かったためという理由にさせてください。(というか、最近書き物系のお手伝い案件が最近増えておりまして。)
動画編集はなかなか面白いですが、テキスト以外に音楽やら時間やら色々考える要素が増えるので大変です。こんなの毎日アップし続けるなんて化け物ですよ全く…。
さて、4日目。
相模湖の朝は快晴!
結局、最後まで雨に降られることもなくゴールに辿り着けそうです。
昨晩はただ真っ黒い暗闇でしかなかった相模湖も宿の窓の外にキラキラと輝いています。目の前は漕艇場となっており、すでに数隻の船が湖上に出ている様子。
では、我々ヤジキタも行きますか!
まずは一路、国道20号へ。
そこから国道やJR中央本線、中央自動車道がひしめく狭いエリアを縫うように旧甲州街道は進みます。アップダウンもかなりのもの。朝から容赦なしの甲州街道です。
しばらく行くと久しぶりの旧街道らしい建物発見。
小仏峠に入る前の神奈川県側最後の宿場となる「小原宿」の本陣がありました。
この本陣、神奈川県では現存する唯一の本陣ということで貴重な建物なのです。
東海道の時なんて、現存本陣はもちろん本陣跡や、高札場跡、ちょっとした道標まで逃すまいと見て周っておりましたが、今回の甲州街道ではそこまでがっついておりません。
下手すりゃ史跡のことすら忘れそうになっている…やばいやばい。
甲州街道最後の難所
ということで、この先いよいよ甲州街道最後の砦「小仏峠」へ。
小原宿本陣から500m弱で国道と別れ、林道へと入っていきます。
すでにややキツめの勾配が続いており、すでに峠が始まっていると思わせるには十分。
しばらく坂道を登って行くと、Vanguard Backpackersというゲストハウスがありました。
明らかに外国人旅行客向けって感じの宿。
実はこの辺りの宿泊場所を探す際に候補の一つだったのです。最終的に今回は桂月さんにしたのですが、昨晩の真っ暗な中で晩飯も食べずにこの宿にしていたら色々大変だったでしょう。よかったねY農場長。
小仏峠は未舗装の山道、ということは知っていましたが、その場所はGoogleマップには示されておらず、現地に行ってみて入り口がわかるという状況。
で、案内人であるフナズシマル、なんと道に迷ってしまいました。
ぐいぐいと登って、軽快に下ったあたりで「あれっ?」となり、Googleマップを見てみると何となく進んでいる方向が戻っているような気がする(この辺はなんとなく勘が働くのです。って、もうちょい早めに働かせろって)。
あ、やばい。
たまたま目の前にいた工事現場の警備員さんに聞いてみたところいまいち要領を得ない様子。しかし無線を使って仲間の方に聞いてくださり、来た道の途中にあった工事現場の辺りが入り口だとわかりました。で、その現場の警備員さんに伝えておくと言ってくださったのです。
さっき軽快に下った道をY農場長に「…想定内だ」言われながら登り(そこまで信用されないのか…笑)、さっき通り過ぎた工事現場のところに辿り着きました。
すると無線で連絡を受けてくれていた警備員の方が「おい、こっちだよ。ここから登っていけ。」とご親切に教えてくださいました。ありがたや!
行ってみると工事現場の影に隠れるように登山道の入り口が。これはなかなかの難易度の高さです。まあこの辺の詰めの甘さが私らしいと言うか、想定内なんでしょうね。
ここからは完全にトレッキング、いわゆる山登りです。
ひと一人がようやく歩ける幅の道を自転車を押しつつ登ります。
こうなると、なんで自転車を押してるのか考えてしまうほど自転車の重さが負担となってのし掛かります。重い、ひたすら自転車が重い…。荷物を色々くっつけてある分さらに重い…。
汗が吹き出る。
ちなみにこの道、東京都の超メジャーハイキングスポット「高尾山」へのルート。
幸いこちら側のルートは登山客はほとんどいないみたい。混んでいたら大迷惑だったので、それは良かったかもしれません。
約1.8kmの山道を登り、45分ほどが経過した頃、小仏峠のピークに到着。
するとそこはさすがの高尾山だけあって、多くの登山客が行き来していました。
「何であのオッサン達、自転車持ってこんなとこにいるんだ?」という好奇の眼差しにさられながら、ここはトットと先を急ぎます。
登山道の下りは高尾山ハイキングのメインルートのようで、後ろからも前からも多くの人が登り降りされていました。できるだけ邪魔にならないように道を譲ったりしながら下ります。会う人会う人、ギョッとした顔で見ていくので、ひとまず爽やかにご挨拶しながら平然と歩いていきます。
小仏峠旧道に入ってから約1時間程度で東京都側の麓となる小仏宿の辺りまで着くことができました。
宝珠寺のあたりからは舗装路となっているので、この先はようやく自転車に乗れます。しかもこの先は日本橋までほぼ下り基調。もう楽勝。
東京都内を旧街道ポタリング
小仏川沿いに進む甲州街道を軽快に下ります。途中、Y農場長がまたまた鼻を利かせてくれました。
峠を越えて小腹も減ったタイミング。
立ち寄ったのは「峰尾豆腐店」。ドーナツの幟旗に目が止まったようです。
こちらのおからドーナツ、油っぽくなくって素朴な甘さが美味しかった!
街道沿いには梅林が続き、春にもう一度来てみたいな、なんて思いを馳せながら走ります。ここまでくれば残り50km程度だし、時間的にも余裕余裕、のはず。
八王子市内に入るとそこはもう完全に都会の様相でした。車線の多い真っ直ぐな道へと甲州街道は変貌しています。
国道に沿って八王子を抜け、JR日野駅に向かっていくと「日野自動車」の本社工場がありました。
日野自動車といえばトヨタ傘下のトラックメーカーというイメージですが、会社名の日野は地名が由来だったのですね。
もうまもなく日野宿です。
日野宿から府中宿へ
日野宿には東京都内で唯一の現存本陣があります。せっかくなので、ちょっとゆっくり見学していきくことにしました。
日野宿は新撰組誕生の地、だそうです。
日野宿本陣の主・佐藤彦五郎は天然理心流の道場「佐藤道場」を開きました。そこへ稽古でやってきたのが後の新撰組となる若き日の近藤勇や沖田総司らだったのです。というわけでこの地が新撰組の誕生地だというもの。ちょっと飛躍しすぎな感じもしなくはないですが、まあ縁はあったと言うことですね。
日野宿を過ぎると東京モノレールと一緒に多摩川を渡ります。
立川市側には渡し船の碑がありました。
ちなみに立川市に自転車で来るのは2度目。単身赴任で江戸川区に住んでいた時に、昭和記念公園まで50km漕いでロケ地で有名なイチョウ並木を見に来たことがあります。実はその時も甲州街道走ってたのかな? ああ、全く成長してない私…。
国立市をちょっとだけ横切り、続いては府中市。
ここは甲州街道と鎌倉街道が交わる交通の要所。
その昔、武蔵国の国府が置かれていました。そばには大國魂神社があります。手前の御旅所の赤い柵には高札場跡が。
なぜか都内に入ってからの方が街道らしい史跡も多く見かけるような気がします。
府中の手前からは旧甲州街道は京王線と並行するように進みます。
京王多摩霊園駅と武蔵野台駅の間で西武多摩川線がクロスしてるのですが、西武線白糸台駅の引き込み線に地元滋賀で見慣れた黄色い車両を発見。思わず鉄ちゃんみたいに写真を撮りに寄り道してしまいました。
滋賀県を走る日本一料金の高い(今は違う?)鉄道「近江鉄道」は、西武の払い下げ車両を活用しているのです。なので滋賀県民はこの車両(と言うか西武に)に親しみがあるのです。近江バスのカラーリングも西武と共通だったりします。
ゲゲゲの女房の舞台
ここまで、私が道を間違えようがどこへ立ち寄ろうが黙って付いて来てくれたY農場長。今回の旅で唯一Y農場長がどうしても行きたい場所がありました。
それは調布の「深大寺」です。
実はY農場長、NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」が大好き。
「ゲゲゲの女房」とは、ゲゲゲの鬼太郎の作者である漫画家・水木しげるとその妻・武良布枝さんをモデルとする夫婦の物語。
で、その舞台が調布なのです。
ドラマの大ファンであるY農場長は、夫婦が訪れていた深大寺を一度訪れてみたいと言うのでした。恥ずかしながら私は全くそのドラマは見ておらず、深大寺も初めて知ったと言う状況。
こう言う時、一人旅も良いけど、二人だと好みも情報も二倍になって、楽しい体験も二倍なんだと改めて思います。
で、いざ初の深大寺へ!
深大寺は大変大きなお寺で、多くの参拝客で溢れておりました(密ですやん…汗)。
マスクを装着し境内に入っていきます。
ここは角大師の愛称で知られる元三大師・良源ゆかりのお寺。
角大師の護符はおそらく皆さん目にしたことがあるのではないでしょうか? 大師が鬼の姿となり疫病神を退散したときの姿を写し取ったものだそうで、こちらのお寺も厄除のご利益があるとのこと。
今年はコロナが慢延しているので、コロナの早期収束をお願いしておきました。
(ちなみに、良源さんは滋賀県虎姫の出身だったりする)
と言うことで、ご満悦のY農場長。
しかし、思ったより時間が経過してしまい、「ここで蕎麦が食いたい!」と言い出し蕎麦屋に入ったY農場長に「ごめんなさい、時間やばくなって来たので蕎麦はまた今度で…」となだめます。残念そうなY農場長。日野宿本陣をさらっと流していたら蕎麦食う時間くらいはあったな。楽しみにしてたのにゴメンね、Y農場長…汗。
大都会を横断し、栄光のゴールへ!
そこからは再び国道20号へ合流。
どんどん都会感が増していく風景。交通量も増えていきます。
首都高の下へ国道は入り込み、何車線もの道路に車やバイクや自転車が入り乱れています。多くの路駐の車を避けつつ、見えて来たのは新宿副都心のビル街。
三つの街道、それぞれ同じ東京でもエリアによって雰囲気がかわるものです。
横浜・品川方面から箱根駅伝のコースを通り日本橋を目指す道となる東海道。
埼玉・大宮方面から板橋、巣鴨といった下町感ある道を通る中山道…。それとはまた違った顔を東京の甲州街道は見せてくれます。
新宿から山手線内側を貫く形で半蔵門へと続く道はまさに大都会を突っ切る道。
甲州街道最後の宿場「内藤新宿」なんてもう新宿のホントにど真ん中。この日はたまたま歩行者天国だったのですが、巨大な繁華街の中を自転車で突っ切るのも面白い。
それにしても、あちこちから大音響が鳴り響き、液晶ビジョンの映像が流れ、様々な食べ物の匂いと車や人の動く雑踏が入り混じる。そんなギラギラした通りの真っ只中を走っていると「ん?何してるんだっけ?」と、街道を走っていることも忘れてしまいそうになります。
そんな国道をひたすら真っ直ぐ走った先に皇居が姿を表しました。
江戸時代に五街道が整備された時、甲州街道は江戸城にいる徳川将軍が裏口となる半蔵門から甲州方面へ逃げるための道でした。なので甲州街道の起点は実は半蔵門と言われています。
現代の甲州街道である国道20号は半蔵門前で直角に右へ折れ、皇居のお堀に沿って日本国道路元標のある日本橋まで続きます。
武蔵野台地のヘリに築城された江戸城。築城の頃は丸の内は海だったそうです。半蔵門から丸の内まではおおよそ18mの標高差があり結構な坂道です。
タクシーが鬼のように走る霞ヶ関の横を一気に通り抜け、丸の内の重厚なビル街を通り抜けます。
日本橋までもう少し…。
東京駅が見えて来ました。まずは日本橋でゴールなので、ここにはまた後で…
曲がるところを間違えて「一石橋」に出てしまいました。
「もうここでええだろ、もうはよ帰ろ。だってあの橋似てるだろ。」とY農場長。もちろんそんなの認めませんから。
なんてふざけたことを言いつつ、3度目のゴールの瞬間目指してヤジキタの二人は日本橋へ!
そして、ついにゴール…
2016年の東海道からもう早くも4年が経過…
随分とオッサン化が進行してしまっていますが、あの日と同じ場所で…パチリ。
自転車で京都から東京、そんなのアホのすることだって冗談で言ってた頃、まさか五街道のうち三つも走るとは考えもしませんでした。
でも着実に五街道制覇は現実となりつつあります。残すはあと日光道中と奥州道中のみ。
さあ、いついくか?
日程さえ決めちゃえばもう実現してしまうでしょう。それくらい夢でもなんでもなくなってしまいました。もはや目標でもなく予定でしかない…笑。
ま、それは言い過ぎか。
二人で制覇するとなると、まだまだ油断大敵です。お互い日々オッサン化は進むばかりですし、コロナのような社会情勢の変化もこの先にどのように影響を与えるかわかりませんからね…
今回、ほんとは一気に残りの三街道を制覇する算段ではあったのですが、コロナの影響で断念。
でも、どうしても今年ヤジキタの旅をやっておきたかった。
と言うのも、私は来年Y工場長とは違う道を選ぶことになりそうです。もう、それは今年の初めには決めていたこと…。
もう決意してから一年たってしまったのですね。で、今この年末にそんなことを考えながらブログを描いてる。早いものです。
Y工場長には5月にお話する予定でしたが、結果的に少し後のタイミングになってしまいました。
この旅の道中でも色々と自分たちの将来についてたくさん語り合いました。でも私の決意は変わることはありませんでした。もちろんY工場長も自分の道は改めて選んでいることと思います。
とは言っても、残りの2つも必ずヤジキタで制覇したい!
そのためには互いにそれぞれの道で頑張って、それぞれの道で自分の思うような人生が描けているといいなと思います。
このヤジキタの旅のように、同じ景色を見ながら違うことを感じていたとしても、「一度きりの人生を楽しむ」と言う同じゴールを目指せていればいいなと…。
(ヤジキタ2020甲州街道サイクリング 完)
ダイジェスト動画はこちら!
https://youtu.be/5U38pm4GvmA
甲州街道マップはこちら
最後までご覧いただいた皆様へ
2020年のFUNAZUSHIの国から.workはこれで書き納め。
皆様、本年も当ブログをご覧いただき大変ありがとうございました。
本当に、本当に大変な世の中になっています。今この瞬間も多くの人がコロナと闘っている最中、こういったお気楽なことでいいのかどうかとも考えたりもします。
しかし、私はこう考えます。
このブログで誰かが街道旅気分を味わってくれているなら、それが今の世の中で私がブログを書く意味になるのではないか? と。
どうも私、なんでも自分に都合よく考えるクセがあるようです。
と言うことで、来年もこのブログは適当に更新し続けていきますので、外に出られない時は「地球の歩き方WEB」もご覧いただければ、滋賀県のほのぼのとした風景たちが、多少の心のギスギスは取ってくれるかもしれません。
では2021年で会いましょう!
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