木曽福島
大きな関所門のゲートが現れた。福島宿だ。
ここ木曽福島は関所のある町である。
碓氷峠、贄川に続いて中山道では3つ目の関所。しかし贄川からはたった27㎞しか離れていない。どうやら贄川関所は日本4大関所(碓氷、福島、新居、箱根)とも言われる福島関所の補助的な役割だったようだ。
関所のすぐ脇を木曽川が流れる。これでは関所のある場所以外に木曽路を通りぬけるのは困難だっただろう。
木曽福島は大きな町だ。
関所を越えたあたりからは木曽川の両岸へ街並みは広がり、木曽町役場や合同庁舎が置かれており、木曽の中心的な町となっている。宿やお土産を買えるところも多い。
ついつい酒蔵は目に止まってしまう。木曽路ではよく目にした「七笑(ななわらい)」という銘柄のお酒の蔵元だ。買って帰りたいが、まだ中山道は残り半分もあるのにリュックに入れるわけにはいかない。
少しいくと趣のある橋がかかっていた。ここは御嶽山の登山道入り口ということだが、ちょうど福島と隣の上松あたりが御嶽山と木曽駒ケ岳の両方に最も近くなる。付近には登山ルートも数多くあるようだ。
通りがかりに和菓子屋を発見。いかにも老舗といった風情の店にはお客が頻繁に出入りしている。きっとここは美味しいに違いない。木曽土産の予備知識は全くなかったが、そば饅頭を1つ買って店の外の休憩場所で食べてみた。ふんわりと柔らかい生地からは優しい甘さと蕎麦の香り、あっさりめの餡が素朴だが美味しい。蕎麦は食ってないが、そば饅頭を土産に買った。
今日はすっかり観光気分である。このあとも木曽の観光名所が続く。
木曽八景を愉しむ
福島を抜け、上松へ向かう途中赤い橋が見えてきた。「木曽の桟(かけはし)」だ。
近江八景になぞらえて作られた木曽八景の一つでもある。現在はアスファルトの道路が整備されているが、当時のこのあたりは断崖絶壁となっており、そこを通るために藤つるなどで作られた木の桟橋が数百メートルにわたって掛けられていたそうだ。
落ちれば一巻の終わりとなるスリル満点の木の桟は、松尾芭蕉も「かけはしや 命をからむ 蔦かつら」の句を詠むくらい危ないものの代名詞になっていたのである。現在は桟橋は残っていない。
橋の下から撮ってみた。赤い鉄橋ばかり目立つが、その下に見えている石積みが当時の名残の部分である。(Yの字のY工場長のちょうど真下にある)
さらに進んでJR上松駅を越えると、こちらも木曽八景のひとつ「寝覚の床」。奇岩の並ぶ有名な景勝地である。
四角い箱のような岩がいくつも並び、実はこの岩の上で「浦島太郎」が竜宮城から帰ってきたときに、この場所の美しさに竜宮城を思いだし、思わず玉手箱を開けてしまった。そして白髪となった浦島太郎は今までのことは夢だったのかと目が覚めた…という浦島太郎伝説があるのだ。
そんなのウチの絵本には載ってなかったけど?浦島太郎って竜宮城から帰ってきて、浜でソッコー玉手箱を開けたんじゃなかったのかよ!?
と突っ込んしまいそうになるが、なんとここのお寺では、浦島太郎の釣竿なるものまでもが展示されているらしい…
えっ?浦島太郎って実在したの?
まあとにかく「寝覚の床」とはそのような伝説から名付けられたようだ。と言っても、起きたら寝覚の床の上だっら結構洒落にならないけど・・・。
もし浦島太郎がここに実在して、四六時中ろくに仕事もしないで寝覚の床の上で釣りばかりして、キレイなお城でお姫様に囲まれる夢想をしながら現実逃避の人生を送り、気がついたら老人になっていた。というのが真相だったら…なかなかシュールな物語である。
続いても木曽八景「小野の滝」。国道沿いにあるので気軽に立ち寄れた。真上には中央本線の線路が走っている。鉄道からは見えないんだろうな。
はぐれたオッサン達・・・
さて、しばらくは適度なアップダウン(というかほぼ下り)の道が続いており、踏めば踏むほどスピードに乗るので気持ちいい!
須原宿に着いたときにはY工場長をかなり引放し、はぐれてしまった。
が、すぐ合流。まあまあ焦った・・・。とまあ、そのくらい気持ちいい道なので・・・。
須原宿のさきにとんがりお山。気になったのでパチリ! さて、気を取り直し先を急ぐ。
ガシガシ踏みすぎてお腹が減ったのでここらでモグモグタイムだ。道の駅があったので寄ってみた。
木曽に来たらやはり五平餅!普段見かける草履のような平べったいものでなく、お団子状のものが売られていたのでそれを頂くことに。
味は想像を超えるようなものではないが、疲れに効く味噌タレの甘さと塩加減がグー!パワー復活だ。
勢いがついたところで、
野尻宿を通過。
スリル満点?
三留野宿の手前に吊橋発見!
Y工場長、こういうの見ると急に生き生きとしだす。獣避けのためだと思われる扉を開けて自転車でスイッ~っと向こう岸まで自転車に乗ったまま渡りきった。
「めっちゃ揺れるしオモロイデ!」って言いながら何食わぬ顔で戻ってくる。
あー、イヤな予感…
「お前もやってみれ!おもろいから。」ほらきた・・・これ絶対怖い奴だし。
怖いし行かないなんて言えばここぞとばかりに「このヘタレ!」って小馬鹿にしだすのもわかっているので、私もここは腹を決めて橋に臨んだ。
板の幅は50㎝ほどか。普段ならこれだけの幅の一本橋を踏み外すようなことはないが、真下を見ると木曽川の激流が・・・。おそらく仕事でも見せないくらいの超真顔になっていたであろう。 こ、怖い!
折り返しは自転車を押して歩いたが、一歩あるくと上下に橋がたわむ。自分では平気を装っていたが、きっと顔は引きつっていたように思う。
ギリギリ到着!
▲三留野宿脇本陣跡
今日は距離がないからと言ってのんびりしすぎているような気がする・・・。
国道から旧道へ入り、三留野宿を通過。このあたりから南木曽町である。
南木曽駅の手前には巨大な木材の集積場があった。さすが木材の町だ。その昔、年貢と言えば❝米❞で納めるものであったが、木曽では規模の大きなな稲作が難しかった。そのため❝木年貢❞と言って木材を米の代わりに納めていたという。この景色を見るとそれも納得だ。
ここまで来ると妻籠は目の前。だがやはりノンビリしすぎた。妻籠の宿へのチェックイン時刻まで余裕がなくなってきた。
しかもここにきて峠が・・・。川沿いの奈良井宿と違い、妻籠は山の中なのであった。今日は前半平坦であったが、実は山頂ゴールというクライマー向きのルート。しかもまあまあ激坂である。
激坂の先にあったのが、「かぶと観音」と「そでふり松」
▲かぶと観音
▲そでふり松
どちらも木曽義仲に縁のあるもので、「かぶと観音」は木曽義仲が平家打倒へ旅立つ際に、自分の兜の前立てに付いていた観音様を祀った場所とされている。「そでふり松」は義仲が弓を引こうとしたときに目の前にあった松を、巴御前が袖を振るって横倒しにしたらしい。その松の枝から新芽がでて育ったものを袖振りの松と呼ぶようになったそうだ。
これだけローカルヒーローならきっと彦根の❝ひこにゃん❞みたいなゆるキャラがいて、現在も地域の人気者に違いないと思って調べてみた・・・。
まあ、興味のある方はこちらをチェックしてみてほしい。個人的な感想はここでは控えておきたい・・・。
THE旧街道と呼びたくなるような雰囲気のある石畳を押し歩く。
おっ、ここが妻籠か?と思えるような情緒ある場所にでた。でもここではないようだ。
時間が迫ってくる。宿から電話がかかってきた。
宿:「ご到着はいつごろになりますか?」
私:「すみません、18時ギリギリの到着になりそうで・・・」
宿:「できるだけ早くお願いします!」
宿側のあせる様子が伺えるが、こちらももう目の前と思っているので、ちょっとくらい待ってよって感じであった。
いよいよ妻籠宿の看板が現れ、妻籠に入った。
18時ほぼ丁度に宿に着いた。本日の宿は「下嵯峨屋」という民宿。
表通りに面したところは、妻籠に昔からあった三軒長屋を修復し復元した建物がある。
いくらなんでもここに泊るわけではない。
この建物の脇の人一人分程度の細道を通っていくと、
ちゃんと普通の民宿の入り口があった。
どうもこちらのシステムでは、宿泊客全員に決まった時間に食事を提供するものになっていて、その関係上どうしても時間厳守だったのだ。
そんなこととも知らず、悠長に「飯の前に風呂入りたいんでが・・・」と言ったら、「後にしてください!」と怒られてしまった。Y工場長は宿側の対応にたいそう不満タラタラである。
汗まみれながら、取り合えず言われるがままに他の客と一緒に夕食のテーブルについた。
奈良井では国際色豊かすぎて会話も成り立たず静かな食事であったが、妻籠ではなぜか日本人ばかりであるにも関わらず重苦しい雰囲気の中の食事であった。料理は美味しかったはずなのだが・・・。
妻籠の夕暮れ・・・
一息ついて妻籠の夜を楽しもうと私一人散歩に出かけた。Y工場長はやはり興味がないようだ。こんなに景色に興味がないなら砂漠とかでも良かったのではないだろうか・・・
妻籠は山の中にあるせいか、街並みに起伏がありそれが変化になって奈良井宿とは違った趣を感じさせる。どちらの街もこの夕暮れが一番いいと思う。皆、宿の中に入っているのか人通りも少ないのがいい。
天気も回復してきた。明日でこの木曽路も終って岐阜県に入る。岐阜と聞くともう滋賀のお隣の県である。夏休みが終わるころの子供の心境みたいになぜか旅が終るのが寂しい感じがする。あと1泊だもんな。このブログのシリーズもあと一息だ・・・。
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