美しい馬籠峠
妻籠の朝。
朝食も他のお客と同時間にいっせい淡々と食べる。見た目も決して悪くないし、味も美味しいのだが、何か楽しめない雰囲気がこの空間を包んでいる・・・。
もちろん通常のホテルや温泉旅館のような設備やもてなしは最初からないことは重々承知の上ではあるし、決してそんなものを求めて泊っているわけではないが、どうにもこの宿のスタッフ(おそらくご主人のご家族の方々)にはお客をただ淡々と捌くような空気を感じてしまう。どういう経緯でこの宿の経営を始められたのかわからないが、なんとなくやらされている感があるんだよなあ・・・。ホスピタリティーの精神が感じられないというか・・・。ご主人は一生懸命にされているようではある。旅好きなのだろう。食堂の天井付近には全国のご当地ハローキティ―がズラッと飾ってあった。ご主人の長年の夢であった民宿経営に家族が無理やり付き合わされて、その家族の雰囲気がそのまま客に伝わってしまっているような気がしてならない。(あくまで私の勝手な想像である)
そんなことで、妻籠には良い思いを抱くことができないまま出発。
しかし妻籠から馬籠へと続く道は良い道だった。
中山道はどこも季節の花々が沿道を賑わせてくれていたが、ここから先の道も美しい景色ばかり。妻籠から少し行くと「大妻籠」という集落に入る。ここにも雰囲気の良い宿がいくつかあった。妻籠よりも観光地っぽくなくって、より風情を感じられる。こっちの方が良かったかな…
馬籠宿までの約6㎞弱の道は「馬籠峠」と呼ばれる峠道になっており、石畳が残る旧道情緒がしっかり感じられる道だ。
▲珍しい牛頭観音。街道でよく見かけるのは馬頭観音だ。
ただ坂はかなりの勾配がある。石畳の道と舗装路が交互に交わる形であるが、この舗装路があまりの激坂で、さすがに押し歩いてしまった。一応言い訳としては旧街道サイクリングは旧道見つけたら歩くべしということにしておく。
と言う訳で、積極的に旧道を選んで歩くヤジキタ・・・。
しばらく行くと、なにやら絵葉書のような風景が目の前に現れた。
石畳の先には山桜やツツジが咲いている。
「一石栃白木改番所(いちこくとちしらきあらためばんしょ」と言われる場所のようだ。写真の建物は立場の茶屋跡である。
ほぼ散ってしまってはいるが5月に見る桜もいい。山桜の花びらが地面やそこらじゅうを染めている景色を、おそらく何百年も昔の旅人も同じように目を細めて見たかもしれない。
一石栃白木改番所とは木曽五木と言われる(ひのき・さわら・あすなろ・こうやまき・ねずこ)の出荷統制を行っていた役所らしい。
気持ちのいい道の先に馬籠峠の頂上があった。まだ標高800mもあるのだ。そう言えば800mとは比叡山の頂上くらいの高さである。
峠の茶屋では普段なら五平餅やら笹餅などが売られているそうなのだが、この時は閉まっていた。残念・・・。と言ってもここまでくると馬籠宿まであと少しなのだ。
馬籠宿に到着。奈良井、妻籠に続いて江戸情緒を色濃く残す宿場町である。しかし江戸情緒を残す雰囲気はどこも同じながら、それぞれ特徴があるものだ。
平坦な木曽川沿いの町「奈良井」、山間の静かな集落「妻籠」、そして中津川市を見下ろす形で山の斜面に作られた「馬籠」。
馬籠からの眺望はなかなか絶景だ。その人気ためか少し観光地感が強すぎるようで、お土産物屋や食事処の小綺麗さがちょっと嫌味に感じる。Funazushi-maru的には奈良井が一番良かったかも。
馬籠宿本陣跡も「藤村記念館」という形でキレイに整備された建物となっている。馬籠の事例はうまくロケーションと組みあわされば、旧街道の宿場町は観光資源として大きな意味を持つという好例ではある。その意味では本陣跡などの建物だけでなく、街道の雰囲気そのものを大きなエリアで伝えていく町づくりが必要だ。といっても旧街道は場所により生活道路そのものだったりするので、観光用途のみを考えるわけにはいかない部分もある。そのあたりの折り合いの付け方が課題かもしれない・・・、などと真面目に地方の観光資源について考えてみたくなる。
中津川へ突入!
馬籠宿でいくつかお土産をゲットし、観光客をかき分け進む。宿場の一番端まで行くと数人のサイクリストがいた。馬籠宿をゴールに坂を登って来た地元のサイクリストに違いない。なかなか素晴らしいヒルクライムコースだ。
▲岐阜県中津川市へ入る
逆に登りがうんざりしてきている我々にとっては嬉しいダウンヒルである。ここから落合宿まで一気に300m程標高を下げる。県道7号を気持ちよく下って行ったが、実は馬籠宿から石畳の旧道が真っ直ぐ伸びていたようで、気付かずすっ飛ばしてしまった。下りに関しては旧道よりも舗装路なんて都合の良いことである…
「落合宿」には立派な本陣の建物が残っていた。今日は久々に長めのコースなのであまりゆっくりは見て回れないが、ここは立ち寄ってみた。
落合宿本陣は何度か大火で焼失しているが、現在の建物は1818年より残っているもの。草津宿本陣にも引けを取らない立派なものだ。ボランティアガイドの方々が詰めており、色々ご説明下さった。訪問ノートにもヤジキタ2人で感謝の意を書いておいた。
山から下りてきて住宅街も周りに増えてきたので、もうここからは平坦かと思いきや、落合宿を越えるとすぐに短いアップダウンが始まった。短いのだが斜度がそれなりにあるのでキツイのだ。
わかりやすいのは中山道にはアスファルトが上の写真のような砂利模様になっており、これを辿っていけばよいようになっていること。
いくつかの丘を越えて国道19号を横断した先に中津川の市街地が広がった。いよいよ「中津川宿」である。
中津川宿には「桂小五郎の隠れ家跡」があった。
通りに面した場所の案内板に従って自転車1台分が通れる程度の細い路地を進むと、古い家があった。以前は「やけ山」という名の料亭だったらしい。現在は木製の案内板が建てられているだけであるが、丁度この5月に建物の再生事業が始まるというニュースが発表された。
桂小五郎はここに身を潜め、江戸から京へと戻る長州藩主 毛利慶親を出迎えたそうだ。藩主と謁見し、後に長州藩を尊王攘夷の道へ大きく舵を切ることになる会談(密談だよね?)がここで行われた。それを「中津川会議」という。ハイ、ここテストに出るぞ!
中山道は直角に2度大きく曲がり、中津川を渡る。また細かな、でも結構なアップダウンが続く。しかもこの日は暑かった・・・。ジワジワと疲れが来る。
中津川名物
キレイな形の笠置山がよく見える気持ちのいい道を走っていると、道端に一軒の店を見つけた。ちょうど昼時だ。
何も情報は無かったが、何となく直感でここに入ろうと思った。
中に入ると変わったメニューが目に入った。中津川名物「とりトマト丼」!
もちろん「とりトマト丼」を注文。
こちらのお店のとりトマト丼は柔らかな鶏肉を焼いてウナギのタレに絡め、中津川産のトマトやサニーレタスと一緒に盛り付けたもの。濃厚なうなぎタレが焼き鳥とご飯にたっぷり染み込んでいるが、トマトの爽やかな酸味と相まってさっぱりとした味わい。こりゃ何杯でも入りそう!
後で調べてわかったのだが、「中津川とりトマト丼」の定義は中津川産の鶏とトマトを使っていれば良いらしく、調理法や見た目は問わないのだそう。なので中津川市内には全く似ても似つかぬ様々な「とりトマト丼」が存在するらしい。中津川とりトマト丼ライドなんてのも面白いだろうな…
たまたま入ったにしては良いお店だった。今度は輪行でこのあたりのポタリングに来てみたい。
この先まだまだ70km程距離が残っている。実は朝から大して進んでないのだ。でもここから先は平坦メインでスピードも上がるはず…だが、そう考えていたのは大きな間違いだったと気づく。この旅のラスボス「十三峠」が迫っていた。(つづく)
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