久下の長土手
2日目は埼玉県大宮市を出発し、群馬県安中市の磯部温泉までの95㎞。快晴の中、鴻巣宿を順調に通過。
鴻巣には日本一の川幅(2537m)を誇る荒川が流れる。この先、熊谷までの約2.5㎞の「久下の長土手」と言われているところだ。この先しばらくは快適なサイクリングロードを進むことになる。
写真ではわかりにくいが、たしかに日本一の川幅というだけあって向こう岸は見えない。それどころかこれが川なのかすらわからない。それはそのはず、実際水の流れている川幅自体は30メートル程度なのだ。堤防と堤防の間には田んぼや畑が広がっており、そのため川の中であるとは、言われなければ気づかないだろう。
これだけの綺麗な道、サイクリストも多く、軽く挨拶を交わしながら颯爽とすれ違う。向こうはまさか我らが滋賀まで走っていくとは思いもしないだろうが・・・。ひととき中山道であることを忘れてしまうくらい気持ちのいい道だ。
あまりにも気持ち良かったので少々飛ばし気味になってしまう。
ふと、ホントに中山道なのか心配になって、木陰で休憩中のサイクリストに問いかけてみた。「すみません。ここって中山道ですよね?」と私。サイクリストは「???」。
地元のサイクリストにとってこの道はあくまでも荒川土手のサイクリングロードであり、中山道かどうかなんて興味がないのだ。まあ当たり前か・・・。
ひとまず熊谷の方向はあっているらしいので改めて先へ走り出したが、ぶっ飛ばしていたら勢い余って分かれ道のところをすっ飛ばしてしまった。
トラブル発生?
コースに戻り熊谷の街中を走る。久々に国道17号へ戻ってきた。夏場の天気情報の最高気温ネタでいつも出てくる熊谷市。この日も暑かったがそこまでではない。
熊谷駅は大きい。新幹線の駅でもある。
大きな街なのでこのあたりで昼飯にしようかと考えたが、そこらのチェーン店に入るのも味気ないので次の深谷宿までもう少し進むことに。
熊谷警察署の先からはまたまた国道を離れ、住宅街を走る。いつになくY工場長の様子が変だ。どうも自転車から異音がするらしい。
並走しながら耳を澄ますと、たしかに後輪のカセットのあたりから音がする。
ひとまずどこか自転車屋を探しながら走っていると、「みかえりの松」のあたりを越えた先にに自転車屋があった。
みかえりの松
スポーツ自転車を扱う店ではなく普通の自転車店ではあるが、背に腹は代えられない。
自転車店の店主は突然現れたロードバイク乗りに少々困惑気味ではあったが、何とか原因を探ろうと自転車をスタンドにかけて見始めてくれた。
その結果わかったのは・・・・・
なんとリアホイールのクイックが緩くなって外れかかっていたのだった。おいおい!ホイール外れてコケてリタイアなんてギャグマンガみたいで恥ずかしすぎるぞ。
ここの自転車店のおかげでホイールが外れることなく命拾いできたY工場長。前回の東海道に引き続きまたホイールトラブルだ。でもこの程度で良かった。(ちなみにもう少し行けばスポーツ自転車の専門店もあったけどね)
レトロな街、深谷宿
で、もうここは「深谷宿」だ。深谷宿も街並みがなかなかレトロ感があって良い。
深谷駅の駅舎はまるでちいさな東京駅だ。関東の駅100選にも選ばれているらしい。
深谷に関する知識はあまりないが、ゲームの「桃太郎電鉄」でネギ畑物件だらけの駅として認識している。駅前には「渋沢栄一」の像があった。
「渋沢栄一ってえらい奴か?」とY工場長。「なんか日本の経済発展に貢献した奴らしいですよ。」と偉そうに解説するも適当な私。ヤジキタに知力が足りないのがまるわかりの会話である。
お腹がかなり減ってきた。されど深谷駅前は思ったほどお店も多くはなく、どこか良い店はないかと彷徨っていると、「肉祭り」の文字が目に飛び込んできた!
通りから奥まったところにひっそりとあったにも関わらず、お腹を空かせた獣のように私の目はそれを捉えた。近づいて見るとちょっと小洒落たカフェのようである。お客さんも沢山入っているようだ。きっと食べログでも人気の店だろう。
オッサン2名いけるか聞いてみたらアッサリ入れた。
テーブルの周りは女子ばかりの中、私はジャンボカツ丼を注文!
これが予想に反してボリューム満点で旨かった。隣の女性は食べきれずにいるくらいだった。さすが肉祭り!
お腹がいっぱいにになったところで深谷宿巡り。
中山道沿いに何やら怪しい匂いのするスポットを発見した。
ぱっと見は酒蔵であるが、映画のポスターや上映スケジュールが建物の前にある。ここはどうやら映画館のようだ。
調べると「深谷シネマ」というミニシアターで、300年の歴史を持つ「七ッ梅酒造」の酒蔵跡を改装して作られたのだそう。
中に入るとタイムスリップしたかのようなとってもレトロな雰囲気が広がっていた。
なかなか見所の多い深谷宿だが、あんまり長居すると良くないのでここらで先を急ぐ。
本庄から倉賀野へ
次の「本庄宿」には旧銀行跡の建物が。中も見学出来そうだったがキリがないのでパス。
本庄宿を超えるといよいよ群馬県に入る。
埼玉県と群馬県の県境を、神流川という川にかかる橋を渡って越えて行くと、「神流川古戦場跡」の碑があった。本能寺の変が起こったときにこのあたりを押さえていた織田方の武将・滝川一益が、寝返った北条氏と戦った場所らしい。「刀で斬り合ったら痛いんだろうなぁ…」とY工場長。ま、間違いなく痛いと思う。
そんなくだらない会話しながらも、ついに群馬県に突入した。
新町宿を越えたあたりに碑が立っていた。
どうやらここは「日本スリーデーマーチ発祥の地」だという。おお、ここがあのスリーデーマーチの…ってナニソレ? そもそもスリーデーマーチという催しに定義とか発祥とかがあるとは思わなかった。全く興味は湧かないが…
鳥川にかかる橋を渡り、向かうは「倉賀野宿」。少しづつ遠くの山に向かって道が登っているのがわかる。もちろん車では気づかない程度ではあるが、自転車だとそんな小さな起伏にも敏感になる。
倉賀野宿に入ると「高崎市倉賀野古商家おもてなし館」があった。
その手前の和菓子屋さんに立ち寄って甘いものを補給。端午の節句なので柏餅が置いてある。それを一つ頂いて、おもてなし館で一息。
入ると古い商家らしく、土間に面した畳の間がある。そこに腰を下ろして柏餅をお抹茶と一緒にいただく。こうしていると昔の旅人になって茶屋で休んでいるかのような気分だ。
ふと手元に置かれたパンフレットの入った箱に目をやると、なにやら見覚えのあるイラストが入ったシールが・・・。
「ん? これってたび丸?」
たび丸とは滋賀県草津市の公認ゆるキャラである。しかしなんでこんなところに置いてあるのか。
おもてなし館のお姉さまに聞いてみると、以前にたび丸がこのおもてなし館に立ち寄って休憩していったとのこと。たしかたび丸も中山道を旅したという記事を目にしたことがある。きっとその時にここを通ったのだろう。
「僕らもこのたび丸の故郷草津市まで、いまから自転車で向かいますよ!」
とリュックに括り付けた❝たび丸のマスコットキーホルダー❞を見せて説明。(自転車イベントで知り合いになった観光物産協会の方からいただいたものなのだ)
と、奥からたび丸のファンになったというお姉さまが出てきて下さったので、同じく観光物産協会の方から託された「たび丸ステッカー」をお渡しした。すごく喜んでいただいたので、次のゆるキャラグランプリではたび丸が優勝するかもしれない。
すっかり話も弾み、記念に集合写真をとお願いしたが、恥ずかしがりやのお姉さま達だったので、ここは二人で撮ってもらった。
話の中でいろいろこの先の情報をいただいたのだが、群馬県の山の中では最近クマの出現やヤマビルにやられたという人が多いらしい。碓氷峠を今から徒歩で越えるのであれば十分気を付けてと言っていただく。ヤマビル除けに足元を覆うビニール袋もくださった。
地元の情報はより生々しいだけに、かなりビビる・・・。
倉賀野には「飯盛り女」(旅籠で働く遊女)の信仰を集めたと言われる「倉賀野神社」がある。飯盛り女というキーワードにはなぜか反応する我ら。
実は倉賀野宿、これ以降に続く険しい道を前にした船着場であった。江戸時代は川による舟運が盛んで、ここまで舟で荷を持ってきたのだ。それにより倉賀野は大変賑わい旅籠も多く存在した。旅籠が多いということはそこで働く飯盛り女も多く、200人を超えたという。
そんな飯盛り女達が身銭を切って寄進した玉垣がこの神社に残ってる。もちろん我らヤジキタもそんな彼女達の悲運に手を合わせに来たのであって、決して変な気があって訪れた訳ではないことを断っておく。
安中の安政遠足
倉賀野を過ぎると高崎市だ。JR高崎線の終点であり、信越本線の起点となる、このあたりではかなり大きな街である。久々に都会の匂いがする駅前の街並みを通り過ぎると、「高崎城址」の公園が現れた。
ここ高崎は城下町であるのだ。
高崎城址
なんと高崎城主は徳川四天王の一人であり、初代彦根藩主「井伊直政」である。武将もある意味サラリーマン…、転勤が大変だったろう。
ひとまず城だけ見て先を急ぐ。ちょっとユックリしすぎているからだ。途中雰囲気のある醤油屋があった。
国道354号にぶつかったところの橋を渡る。
「君が代橋」だ。明治天皇が北陸行幸の際に渡ったことから命名されたそうだ。
このあたりまで来ると、遠くに榛名山を含む山々の連なりが迫ってきている。いよいよ明日は越えるのだ。
君が代橋を渡った後少しだけ国道406号を進み、すぐさま旧道へ。その先の上豊岡町の交差点で碓井川沿いに走る国道18号へ出る。
しばし川沿いの歩道を快調にスピードを上げていった。次の「板鼻宿」を越えれば「安中宿」。本日はその先の磯辺温泉まで行く。もうちょっとではあるが、夕方の時刻を迎え、徐々に薄暗くなってきている。それに少し雲もかかってきているようだ。
板鼻宿でトイレ休憩。さして史跡や宿場町の雰囲気は残っていなかったが、本陣にはあの和宮が泊まったと書いてあった。中山道の宿場は和宮が泊まったかどうかを割と観光資源的に重要視しているところが多いが、ここはそうでもないらしい。
板鼻宿を越えて再び碓井川を渡ると、基本国道18号と碓井川に沿う形で旧中山道も走っている。ここから明らかに斜度が上がってきた。薄暗いながらもどんどん山が迫ってきているのが見える。
スマホの地図ではわからなかったが、安中宿は坂道の途中にあった。一日の最後に山頂ゴールとは我ながら良いコース設定だ。明日からの試練の予告編として相応しい。
安中宿には武家屋敷や、
同志社を設立した新島襄の生家などあり、なかなか面白い。
気になるのは、そこら中に立てられている「安政遠足」の幟。このあたりの小学校は遠足ごときにここまで町を挙げて開催するのであろうか…って、んな訳はない。
これは安政年間に安中藩の武士が鍛錬のため、安中城から碓井峠のてっぺんにある熊野権現まで走って登ったという史実にちなみ、毎年5月に開催されている「安政遠足 侍マラソン」というイベントのことである。ちなみに「えんそく」ではなく、「とおあし」と読む。
丁度今から向かう中山道自体がそのコースであるが、ある意味そっちの方が過酷のような気がする。
ハンガーノック
国道18号はひたすら緩やかではあるが、確実に登っている。ほぼ日の沈んだ空に異様な形の山が浮かび上がっている。
私も軽快に…とは行かないものの、あと少しだというモチベーションで走る。しかしこの緩やかな登りは思った以上に体力や、エネルギーを削いでいったようだ。
座り込むY工場長
磯辺温泉までもうあと少しということろで、Y工場長がハンガーノックで動けなくなった。お菓子でごまかしてきたものの、かなり消耗している様子。
少し下ったところのコンビニで、晩メシ前ではあるが補給。
川の傍までくだると温泉街のホテルや旅館の大きな建物が現れた。
しかし、本日の宿はこの中にはない。温泉街の端にあるアパートなんである。
そう、今流行の民泊なのだ。目新しいものは一度はやってみたいタチの私。Airbnbを初めて利用することにした。
新婚夫婦の部屋みたいで、若干オッサン二人で泊まるには気持ち悪い感じもしなくもないが、なかなか良いお部屋。アパートの目の前には日帰り温泉施設もあるので、お得に過ごす事ができた。
で今日もガッツリ。温泉施設の簡易な食堂にも関わらず食券出しまくりで、テーブルが二人とは思えないほど賑やかに。Y工場長、これで明日はハンガーノックにならないで済むだろう。
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