3日目スタート
3日目の朝、この日の空も澄み渡り最高の天気だ。
民泊のバルコニーに干した洗濯物も良く渇いている。(とても旅とは思えないほど写真が所帯染みている…が)
Airbnbの場合、オーナーと利用者は相互に評価し合う仕組みになっている。利用者のマナーが悪いと評価が下がり、次回利用しにくくなるのだ。
ヤジキタもゴミやら洗い物やらしっかりと片付け、マナー良い客として部屋をあとにした。
(もちろん後日オーナーから良い評価を頂いた。)
大宮あたりとは違ってこのあたりまで来るとホント景色が良い。
碓氷川を渡る橋には「愛妻橋」という愛妻家のヤジキタの二人にとてもピッタリな名前が付いていた。ただこの看板を背に写真を撮りながら、ふと、猫のように首根っこを摘まみ上げられ現実の世界へ連れ戻される軽い恐怖を感じたのは気のせいか…
いやいやこんなところで戻されるわけには行かない。なんと言っても今日は碓氷峠をいよいよ越えるのだ。
まずは「松井田宿」を目指す。
松井田宿を目指していると、昨日からそのシルエットが気になっていた山が徐々に姿を露わにした。先が鋭く尖った大変奇妙な形の山である。
グーグルマップで調べると「妙義山(みょうぎさん)」というらしい。しばらくはこの妙義山のある景色を見ながらのサイクリングである。
松井田宿~横川の峠の釜めし
ゆるーい登りが続く中、「松井田宿」に着いた。
そのまま進むと、「松井田城址」と書かれた看板の掲げられた寺があった。
「補陀寺」である。
松井田城は元は安中氏によって築城され、その後武田方や織田方滝川一益のものになるなど、戦国の勢力図の変遷の中でその主を変えてきた城だ。
その後は神流川のところでも紹介したように、信長の死をきっかけに北条氏が攻め込みこれを手中に収めた。最後の城主は北条家の宿老「大道寺政繁」。
秀吉の小田原征伐の際に落城となった。
ここは中山道碓氷峠を抑える重要な拠点であったのだろうことが伺える。
ふと大きなリュックを背負って歩く一人の青年がいた。
お互い明らかに街道を旅する恰好のもの同士、軽く挨拶する。青年はこの先「塩名田宿」あたりまで歩くらしい…
我々が本日泊まるのは「芦田宿」。(げっ、宿駅にして3つしか変わらん…)まぁ彼は若いから…と心に言い聞かせ青年とはお別れした。
松井田宿の先で、旧中山道は国道18号によってぶった切られている。旧街道を行くとこのように新しい道路や鉄道よって切れた道を良く見かける。
私は「あぁ、昔はこことあそこが繋がってたんだなぁ…」と過去に思いを馳せながら眺める地味な習性がある。Y工場長はというと、いつものことかと黙って待っていてくれる。
妙義山が近づいてきた。見るほどに山の先端が異様なまでに尖った荒々しい男性的な山である。今回東海道と違うのはカメラだ。以前はスマホしかなかったが、今回はコンデジ「SONY RX-100Ⅲ」を持っての旅。ついつい良い景色だと立ち止まって写真を撮ってしまう。しかしY工場長はこの畑のほうに興味津々で、「この畑の土がいいなあ・・・」と全然違うところを見ている。「はあ、そうなんですか。なにがいいんです?」と特に興味ないが聞いてみると、「この黒くてサラサラしてるだろ?これがいいんだよ。」ということだ。たしかにそんな感じの土である。もしかして火山灰? だとしたらおそらく浅間山のものではなかろうか・・・。そうかここからは火山地帯なんだよな。ちょっとしたブラタモリ気分である。
そこからしばらくして「五料の茶屋本陣」の建物が現れた。ここは大名や公家の休憩場所である。「お西」「お東」と2軒あり、それぞれかつて五料村の名士がその役を任されていたのである。ヤジキタはまだ休憩するほども走っていないので先を進むことにする。
集落に入ると「峠の釜飯」の幟が立つエリアに入った。JR横川駅だ。
ここは信越本線の終点である。昔は鉄道で碓井峠を越えることができたようだが、今は横川から軽井沢の区間は廃線となっている。
校外学習なのか中学生くらいの子供達が駅前で先生の注意事項を聞いていた。
横川駅と言えばやはり、おぎのやの「峠の釜飯」だろう。東京でも買えただろうが、ここが発祥の地である。実は出発時点でコンビニで朝メシを食べたため腹は減ってない…しかも昼にはかなり早いが、折角なので食べることにした。
まだ早いのか店にはヤジキタ以外は誰も居ない。席について注文すると、すぐに出てきた。基本駅弁なので作ってあるものを出すだけなんだとか。
有名な益子焼の容器の蓋を開けると彩りもキレイな釜飯が現れた。一口食べると「美味い!」。シッカリした濃いめのダシで炊かれた御飯や具材が良い。オレンジ色の物体はアンズで、デザート代わりに付けているらしい。残念なのは食べた後の釜を持って帰れないことだ。今から自転車であの「碓氷峠」を越えることを考えると、重量増加は避けるべき。致し方ない。と言いつつ自らの体重はどんどん増加中な気がする…
横川からの碓氷峠周辺は観光スポットも多い。碓氷峠の廃線区間はその跡地が「アプトの道」というハイキングコースとなっていて、その道中には有名な「メガネ橋」などがある。
中山道的には「碓氷関所跡」は外せない。
ここを通らないことには碓氷峠を越えることはできない。まずは土下座して通行のお許しを頂くの図である。決して食べ過ぎて動けないの図ではない。
と思ったら、別のところに「おじぎ石」と言うものがあった。この石におでこを擦りつけてお許しを請うのだそうだ。Y工場長にもう一回やってくれ、と言ったら怒るだろうから言わなかったが…
横川駅のすぐ近くには「碓氷峠鉄道文化むら」という鉄道ファン必見のテーマパークがある。ここはなんと電気機関車の運転体験ができるらしい。アプトの道は鉄道文化むらの脇を通って熊野平まで約6㎞続いている。
我々ヤジキタはそんな観光ハイキングに用はない。まあちょっとは行ってみたいが…
坂本宿、いよいよ峠
「坂本宿」に入ると碓氷峠のある刎石山(はねいしやま)まで真っ直ぐに道が伸びている。いよいよ峠前最後の宿場である。ここから標高にして約700mを一気に登っていくことになるのだ。
坂本宿には宿場の街並みが色濃く残されていて見ごたえがある。
このあとの宿場でもよく見かけるのだが、2階部分が一階よりもせり出した建物が街道沿いには多くあった。「出梁造り」というらしい。
坂本宿の直線を過ぎると九十九状の山道ゾーンに入る。坂も少しづつキツクなってきた。
車で峠を越える場合はこの国道18号を観光スポットを巡りながら進めばよい。しかし我々が目指すのは「旧中山道」。国道を少し上った脇についに旧中山道の入り口が姿を現した!
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