ヤジキタ2018中山道自転車走破(碓氷峠越え編)

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いざ碓氷峠!

国道脇に現れた旧中山道への入り口。「えっ、こんな細いところ・・・?」って思うくらいの山道だ。写真では少しわかりにくいが、電柱の右側にある急な坂道がそれである。

そう、いきなり急な登りで始まっている。

「こ、これが碓氷峠かあ・・・」と、ようやくたどり着いたこの旅最初の難所に感嘆していると、入り口近くのベンチに座っていたご夫婦が話しかけてきた。

「これから中山道行くの?」

「ええ、そうです。自転車担いで!」

「はあ、それはすごいねえ! さすがお二人若いわ。」とご夫婦。

自転車は普通舗装された道を走るものであり、山道をわざわざ自転車で入っていく奴はいないので、珍しいと思われているだろう。

「僕らは2日前に東京を出発して、滋賀の草津まで自転車で走ろうと思っているんですよ。」

と自分たちの旅について説明。さらに奇特な奴らだと珍しがってもらえるように話を向けると、

「ああ、それはそれは。私たちも街道歩きが好きでねえ、すでに五街道制覇してるんですよ! 今回は2巡目の中山道です。」とさわやかに仰る。

中山道はどうも奇特な人々で溢れているようだ。なんか我々の方が子供のお遊びに思えてきた・・・。

お先に失礼しますと、休憩中のご夫婦よりも先に自転車を押しながら碓氷峠に突入した。

熊はでるか?

倉賀野宿でさんざんクマ出没、ヒル被害の話を聞かされていたので、さっそく持ってきたラジオを取り出した。山の中であるがラジオの電波は届くようだ。福山雅治の声が流れるNHKの番組を碓氷峠に響き渡らせ登る。果たしてこんなのでクマに効くのだろうか・・・

しばし行くとY工場長、なにやら見つけたようで喜々としている。

どうもヘビを発見したようだ。傍にあった棒きれをつかみヘビにちょっかいを出し始める。

「Yさん、そんなのやめといたほうがいいですよ。毒蛇だったらどうすんですか?」

と、こういう時Y工場長がいつもゲテモノを捕まえては嫌がる周りを追いかけまわすという、田舎のガキ大将丸出しの行動をすることを知っているので、警戒しながら私が話すと、

「大丈夫だって、こりゃ青大将だ。」と意に介さないY工場長。

ちょっとまてよ、よく見ると首回りに赤い模様がある。おいおいそれは毒蛇じゃないのか?

「Yさん、それヤマカガシでしょ! 毒蛇だから噛まれますよ。」と言うと、

「たしかにちょっと違うかもしれんなあ・・・」とそんなに危機感のないY工場長。ヘビは完全に戦闘モードに入ってこちらを威嚇している。

ヘビが威嚇体制を解いて茂みに向かうのを確認してから、そうっと自転車を押して脇を通りぬけた。あとで調べるとやはりヤマカガシであったようで、その毒はハブの10倍、マムシの3倍にもなる猛毒のヘビだった。毒蛇に噛まれてリタイアなんで洒落にもならない・・・。

見どころの多い旧中山道

旧中山道の碓氷峠は見どころもなかなか多くある。

写真の場所は「堂峰番所」跡である。今は建物などは残ってはいないが、さすが当時の幹線道路だけに、山道にも関わらず様々な施設が道沿いにあったようだ。所々にこういった案内板が設置されている。

ブラタモリでもよく出てくる「柱状節理」や、

様々な石碑もあった。

刎石山の上まであがると少し開けた場所に出た。

ここは「覗き」と呼ばれる旧中山道の中でも一番の絶景スポット。

木々の間にできた窓からは、これまで走ってきた「坂本宿」の真っ直ぐな街並みや、その向こう側までが見渡せる。

これが見たくてここまで自転車で登ってきたのだ。

メガネ橋や碓氷湖なんてどうでもいい。旧街道サイクリストとしてはこの景色を見ないことには中山道を制覇したとは言えない、というくらいにここへ自転車で来てみたかった。ああ満足!

といってもここはまだまだ山の中、満足して帰ろうというわけにもいかないので自転車を再び担いで先へ進む。

「弘法の井戸」。弘法大師がここから水が湧くと教えたという言われのある井戸。

「刎石茶屋跡」。こんな山奥に茶屋が4軒もあったのだ。今もあれば・・・ちょうど喉が渇いてきたところなのに。

「関所跡」。入り口にあった番所といい、かなり厳重に行き来を取り締まったのだろう。今は東屋が設置され休憩場所になっている。

「掘り切り」。豊臣秀吉の小田原攻めの際に、前回のブログで紹介した松井田城主の大道寺政繁がここで防戦したらしい。旧街道には必ずと言っていいほど戦国時代の舞台となっている場所が多く残されている。

「一里塚跡」。五街道制覇のご夫婦はさすがの健脚で、このあたりまでは我々ヤジキタと抜きつ抜かれつであった。

「座頭ころがし」。急な坂や小石、赤土で滑りやすいなど昔はかなり歩きにくい場所だったよう。今はそうでもない感じ。

このあたりから平坦な道が続く。土の感じがまさに富士山の登山道なんかでもみかける火山灰っぽい黒い土である。我々の自転車は純粋なロードバイクではあるが、歩くのも面倒なのでグラベルっぽく自転車に跨って走ってみる。しかしトルクがかからずペダルが重い・・・。

こんな山の奥にバスが捨てられていた。昔はこのあたりまで車で入れたのだろうか・・・。

「一つ家跡」。旅人を苦しめた老婆が住んでいたと言われる家の跡地。こういった伝説は結構多い気がするが、昔の人にとって老婆ってそういうイメージなのか?まあこんな山奥に一人で住む老婆という不自然なシチュエーション自体が怪しさの元なんだろうけど。

そこからしばらくして旧中山道の標識は下りのほうを示していた。正しいのかどうかわからなかったので、結局まっすぐ熊野神社方面へ進む。安政遠足マラソンの案内板もそちらを示していた。

峠を抜けると・・・

急に視界が広がり、いくつもの「力餅」の店が並ぶ場所に出た。ここが碓氷峠の頂上のようだ。ようやく水が買える。途中、水も無くなりY工場長に少し分けてもらっていたのだ。

森のクマさんにも出会うことなく到達。ラジオをリュックにしまうことにした。

頂上にあるのは「熊野神社」。ここはあることで有名な神社だ。

実はこの神社、群馬県と長野県の県境にあり、神社の中央に境界線がある。しかもその境界線はまさに本殿の中心をも突っ走り、一つの神社でありながら2つの宗教法人が長野県熊野皇大神社群馬県熊野神社に分かれて存在するという大変珍しい場所なのである。

安政遠足マラソンのゴールもここのようだ。安政遠足マラソンはコスプレの参加者も多いファンラン的なマラソンであるが、ここまで歩いてきた道のりを振り返ると、かなりハードなものだと感じる。でもちょっぴり興味あるかも・・・。

せっかくなので「力餅」をいただこうとお店を探す。近くにいた方が、一番峠の出口手前にあった「あづまや」さんを勧めてくれた。建物の見た目はいまいちだが、最も老舗だけに美味しいらしい。

大根おろしの力餅を注文した。大根の辛みがさっぱりとして、山登りの跡だけに塩気もあって美味しい!

隣の席には毎週来ているとおっしゃるハイソサエティーな雰囲気のの一家が居られた。聞けばお家はすぐそこらしい。なんだこの圧倒的な劣等感・・・。こっちは足元に落ち葉の屑がついた汗まみれの小汚い格好で、あちらは山の頂上とは思えないような上品な格好。熊野神社の県境だけでなく、ここ長野と群馬には別の境界があるようだ。

それもそのはず、この先は日本で最も有名なリゾート「軽井沢」。

本来の中山道はここから再び山の中の遊歩道を進むが、我々は県道133号を一気に下った。こういう下りでは自転車の本領発揮である。これまでの徒歩のうっ憤を晴らすかのように快適に走る。

と、急に人の多い場所に出てきた。

旧軽井沢銀座である。一応ここも中山道、「軽井沢宿」なのだ。

しかし、何というべきかギャップが激しすぎてついていけない・・・ついさっきまで山の中でヘビと戯れて、クマに怯えながら歩いてきたというのに。

GWの軽井沢の賑わいに、自転車を乗って進むこともできず、またまた押し歩きしながら進むヤジキタ。

長野をよくご存じの地元サイクリストH氏から軽井沢のランチは聞いてはいたものの、この格好でフレンチとかイタリアンとか小洒落たカフェが似合うはずもなく、居心地の悪さを感じつつ通り過ぎることにした。

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