「近江探求」って講座に行ってきた!

近江探求?

最近は新聞の地方版のところをよく見てます。
こんなブログを書いているとやはり滋賀の情報が気になるんですよね。

で、先日ふと見ると「近江探求」の文字が・・・。

なになにどんな内容かな?
近江の道やあきんど、郷に焦点をあてて原風景をさぐっていく・・・とある。
しかも無料!

おおっ、これだよ、これ!私のブログネタにピッタリじゃないか!
早速申し込みっ、とその日のうちに申し込んじゃいました。

なんか最近funazushi-maruはこういったセンサーが強化されてきた気がする?!

放送大学滋賀学習センター

この講座、近所の瀬田というところにある「放送大学滋賀学習センター」の公開講座の一環として
行われるもののようです。
放送大学とは、いわゆるテレビやラジオ、ネットを通じて受講する通信制の大学です。

http://www.ouj.ac.jp/
放送大学HP

講座の前段でもまずはセンター長から放送大学の募集受付について結構な時間をさいて説明がありました
まあ無料ということで、放送大学からすれば生徒募集のためのコマーシャルなんですね。
とはいえ講座自体はかなり面白かったですよ。


滋賀学習センターは龍谷大学 瀬田キャンパスの中にあり、大学学舎の4号館内にある施設です。
龍谷大学瀬田キャンパス自体は私も初めて入るのでそっちも興味ありあり。

今回の講座は1部と2部に分かれてまして、

第一部:近江の原風景(~道の国・あきんどの町・魚米の郷) 講師:秋山元秀 先生
第二部:近江の古典(~大津の今昔・歌枕の過去と現在~) 講師:吉川栄治 先生

という構成。それぞれ1時間ほどの講座です。

第一部:近江の原風景

話の構成は3部で(道の国・あきんどの町・魚米の郷)という流れでしたが、普段大学などで講義される時間は
90分ということらしく、最後の魚米の郷のあたりは端折られてました・・・。

しかしいろいろ知らないことがありましたよ。
東海道や中山道と言っている道、僕がしっている旧街道は江戸時代に徳川家康によって「宿駅伝馬制」が全国に実施されてからの
ルート。
しかしこれらの道はもっと以前からも街道として存在してたのですね。(よく考えれば当たり前で、突然道が現れたわけではない・・・)
東海道も奈良時代は奈良から関東への道だったので近江は通らず、大津京の時代を経て平安時代にようやく京から近江を経てるという
ルートになったらしい。

はたまたグーグルマップで見せていただいた地図がこちら。

瀬田の唐橋のあたりなのですが、ここに現在でも「国道1号線」「JR琵琶湖線(旧東海道線)」「東海道新幹線」「名神高速道路」
「旧東海道(瀬田の唐橋)」といった日本の主要幹線道路や鉄道が通っているのです。
秋山先生曰く、この場所に爆弾落としたら日本はトンデモナイことになるな・・・って仰ってました。
たしかしそうかもしれない・・・。

あと「五畿七道」ってのがありますが、へっ、わからない?
中学校の社会に戻らないといけないのですが、大化の改新(645年)は誰もがしってますよね?
funazushi-maruも久々に思い出しました。
その時、「改新の詔」というのが発布されて、そこに五畿七道が規定されてたのですね。
この五畿七道、五畿とは大和、山城、摂津、河内、和泉の五国の事を指します。今でいう奈良、京都、大阪です。
なんと滋賀は入ってないのです。つまり畿内にたいして畿外の県だったのですね・・・。
この事実を今回初めてしてちょびっとショックでした。

しかしある意味そのことが近江のポジションを規定していきます。
平安京に都が置かれると畿内という政治の中心地にたいして守りを固める意味で「関」が置かれます。
その三関といわれる関は「愛発」(福井県敦賀のあたり)「不破」(岐阜県関ケ原)「鈴鹿」(三重県亀山あたり)といずれも
近江の国を囲む場所にありました。
ここを越えればあとは「逢坂の関」を越えれば京の都です。

ちなみに関西、関東の「関」はこの関のことです。この関より西が関西、東が関東ということのようです。(知らんかった・・・)

そういった地形的な面で近江の国には京都の「ハブ」としての機能があったと言えます。
そのため主要道路が近江の地を走り、また間道という主要道路と主要道路をつなぐ近道などが無数に発展しました。
そうした道路の発展した国だからこそ、その「流通の力」を最大限に利用して全国に名をとどろかせたのが

「近江商人」と言われる人々です。

徹底した利潤追求のため「近江泥棒」とも言われた近江商人たちはこの近江に張り巡らされた交通インフラを武器に
全国へと商いを展開していったのです。

その商いの元になる製品も近江の土地は豊富に生み出すことができたようです。
それが琵琶湖を中心とした漁業や水の豊富な土地による農産物でした。
近江の国は江戸時代には石高85.3万石と全国でも出羽、下野、武蔵、越後に次ぐくらいの生産量でした。
また人口も多く天保5年(1834年)には54万人となり、当時山城の国(現在の京都)よりも多かったというのです。
それだけ豊富な資源と、それを商いにして現金化する力をもっていた当時の近江の人々、スゴイですね!

第二部:近江の古典

第二部は古典の授業です。
歌枕といって昔の物語である「源氏物語」や「更級日記」、「古事記」などに出てくる一節や和歌の一部にある近江の風景を
現在の風景と対比しながら学ぶというもの。
和歌とか古典って私は学生のころ苦手だったのでちょっと気持ちが引き気味でしたが、この吉川先生かなりのお話上手。
まるで綾小路きみまろか、と思わせるくらいの絶妙で軽快なトークで和歌と古典の世界に引き込んでくれます。
また、この古典世界の近江の風景と現在の写真を交互に見せるスライドの画像がシュールで笑っちゃいけないのだろうけど
笑いが起こってました。
だってねえ・・・、あまりにも近江の景勝地であった湖岸がものの見事に土建行政で埋め立てられてるんだから。
そんなのが江戸時代からすでに始まっているので私の子供のころにはすっかり古典の風景はなくなってたんですね。

今見える風景は歴史(人間の営み)が積み重なってできたもの。

何一つ昔の自然のままのものはないのだなあと改めて思いました。
消えかかった道を訪ねたり、昔の風景を感じさせるものを探しに行くというのは一体どういう意味があるのだろうか・・・
ふと、そんなことを柄でもなく思ってしまうfunazushi-maruでした。

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