ロードバイクで行く近江の城(3)勢多城

久々の自転車お出かけチャンス到来!

この時期雨が降ったり娘のお相手したりと、なかなか自転車に乗れてないのですが、
先週末は午前中晴れていて娘もお泊まりイベントでお出かけ中というチャンスタイムが発生!(と言っても4時間ほどですけどね…)

朝からここぞとばかりにコースを検討、
で考えたコースは

勢多城→幻住庵→義仲寺

と言うもの。
そろそろお酒ネタ以外のことを書かないと、きっと「FUNAZUSHIの国から.work」は完全な日本酒ブログと化してしまいそう。
そこで4時間で行ける範囲で、久々の「ロードバイクで行く近江の城シリーズ」の史跡と、
以前から行ってみたかった幻住庵と義仲寺をセットで行くことにしました。

「ロードバイクで行く近江の城シリーズ」についてはこちら。

ロードバイクで行く近江の城シリーズ
近江の城 シリーズ第2段は「ロードバイクで行く近江の城」と題して、滋賀県各地のお城を巡ろうと画策しております。 ところで滋賀県内に城...

幻住庵と義仲寺はどちらも俳人「松尾芭蕉」縁のスポットです。
こちらは後日記事を書く予定。

で、「勢多城」ってなに? ですよね。
そんなところに城なんてあったっけ?

では、早速見に行きましょう!

勢多城とは

とその前に少し「勢多城」の説明を。

「勢多」とは「瀬田」のこと。つまり現在の大津市瀬田にあったお城です。
瀬田と言えば「瀬田の唐橋」ですが、この交通の要衝の東詰めに存在しこれを掌握する重要な存在でした。
正式には「瀬田城」と書くのでしょうか?こちらの表記が多いようですが石碑の表記に合わせておきます。

この勢多城の城主は「山岡氏」。
当時の近江国守護:佐々木氏の家臣であった山岡景房がこの場所に築いた後、その後代々山岡氏がこの城を守りました。
なので別名「山岡城」とも呼びます。

佐々木氏が織田信長が近江に攻めてきたことにより本拠の繖山を離れ落ち延びる頃には、
第九代城主「山岡美作守景隆」は信長に仕え三万石を領するまでに。

天正十年、明智光秀により信長が本能寺で倒れると、光秀より景隆宛てに味方になるように使者が遣わされましたが、
景隆は信長に義を立ててこれを断り、橋を焼き落としました。
また弟の山中景祐は、この時堺にいた徳川家康の有名な逃亡劇「神君伊賀越え」を兄とともに補佐したとのことです。
(瀬田城跡石碑銘文より)

このように見ると歴史的には無名ではあるものの、山岡氏が天下の行く末に果たした役割がいかに大きいのかわかりますね。
それだけこの勢田城=瀬田の橋、ひいては琵琶湖を押さえることが天下統一への絶対条件だったのです。

現在の勢多城

さて、そんな重要な城「勢多城」ですが、山中景隆は唐橋を焼き落とした時に城ごと焼き払ってしまっており、
現在は跡形も残っておりません。(なのでそんなところに城があったことすら近所に住んでいても知らないくらい)

結果的に家康の天下取りに大きく貢献したことにより、後の徳川政権後の膳所藩主:本多康恒はこの山中氏の忠誠を偲んで「臨湖庵」
という別邸を建てました。
現在はその臨湖庵すら残っておらず、

なんと「グランスイート 近江 臨湖庵」という名のマンションに…。
その道路わきに石碑が建つのみなんです。


瀬田の唐橋を望むマンションのそばに本当にひっそりと石碑があります。
車でも自転車でも何回もこの場所は通っていますが、全く気が付いてませんでした…。
(この写真でもどこにあるかわからないのでは? 右端の植え込みの間ですよ)


たしかに瀬田城とありました。今回自転車でこの地を目指して唐橋の方面から南に向けて探しながら走りましたが、一瞬通り過ぎてしまうくらい
目立たない形で建っています。

今は石碑だけの勢田城ですが、天下の命運を握った「瀬田の唐橋」を握る勢多城主だけに、山岡氏の時勢を見てその時々の力に付いた
判断力に恐れ入る気持ちです。
城はなくともこの場所にはそれだけの歴史が詰まっていると思うと、
つくづく私も自転車でフラッと寄れるくらいの近場に住んでいることを改めて誇りに感じますね。

瀬田城跡碑の地図

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