ロードバイクでめぐる近江の旧街道~風の道、志那街道をポタリング

志那街道って

先日のブログで「志那三郷の藤」を紹介させていただきました。
そこでは草津市の志那地域について地名の成り立ちや、地域を守る神社、それぞれの藤棚について記事にしています。
その志那という地域に中世に重要な意味を持った街道がありました。

その名は「志那街道」

志那街道とはこの志那の地を、琵琶湖岸から旧中山道(東山道)守山宿まで貫くおよそ7kmの旧街道です。

古代律令制の時代に整備された五畿七道(五畿=畿内:現在の奈良・大阪・兵庫・京都あたりの5つのエリアと、七道:日本全土を東海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道・西海道・南海道の7つのエリアに区分けする行政区分)の仕組みによって、
畿内の都から全国をつなぐ幹線道路(七道と同じ名称)が作られました。
近江の国には、この大幹線道路のうち東海道、東山道、北陸道が通っています。
そのような中、琵琶湖は畿内と東国や北陸、あるいは朝鮮半島など海外からの物資をいち早く都に届けるための巨大な運河として、これらの幹線を短時間で結ぶ日本の物流史上大きな役割を持った湖でした。

志那街道はそんな大幹線道路「東山道(中山道)」と対岸の比叡山阪本を水運で結ぶ「志那湊」への物流ルート。
織田信長が近江を制するまでは、近江一円は比叡山延暦寺がその勢力を誇っており、様々な物資が麓の阪本湊に集められたのです。
信長も琵琶湖の物流インフラとしての重要性は認識しており、その後長浜城、大溝城、阪本城、そして最後に自ら安土城を湖岸に面する形で建てて、琵琶湖の制海権を押さえたくらいです。

そして秀吉や家康の世にあっても、琵琶湖の重要性は変わらず、彼らが庇護した船奉行の「芦浦観音寺」
が寺でありながらも一時は4万石も持つ代官になったのは先日のブログでも紹介したとおりです。

前置きが長くなってしまいましたが、そんな志那街道は現在どんな姿なのか、ポタリングしながら見ていきたいと思います。

志那津からスタート!


志那街道のスタートは志那港がある「志那津」から。

徳川家康は大阪冬の陣の際にこの志那津の湊から船でわたりました。この時嵐で命辛々対岸に渡ることになったのですが、しかし家康は「わが軍は必ず勝つだろう。志那津(しなず)だ!」と言って、この志那津の湊をたいそう縁起が良いと喜んだのだそう。
そんな言い伝えがある場所。
江戸時代は三代 徳川家光の御座船(弁財丸)を管理することになった由緒正しき港です。

現在は湖岸道路が整備されているので、港は道路よりも奥にあります。
で、当時の湖岸は埋め立てられ、今は、

グランドとして野球少年達が走り回っています。

そのとなりに中世の湖岸を偲ぶものが…

こんなところにお寺があるんです。
funazushi-maruは草津にかれこれ15年住んでますが、ここに気付いたのはわりと最近…(^^;)
ここは「蓮海寺」というお寺。
昔はこの寺のすぐそばまでが湖岸であり、蓮の海と言うだけあって多くの時の権力者も心をあらった景色が「千蓮美那の池」として名残を残しています。

小さなお堂の足元には石積みが施されており湖水と接していたのだと思います。
おそらく当時は浮御堂ほどではないものの琵琶湖の蓮の海に浮かぶように見えたでしょう。

このお堂の前から志那街道はスタート。

草津市内の志那街道は数か所このような案内板があります。ルートと見どころを確認!

風の郷、志那から志那中へ

ほぼ真っ直ぐ西へ向かって行くと「志那神社」の鳥居と松並木が見えてきます。

志那には志那神社、この先の三大神社や惣社神社と合わせて志那三郷といい、それぞれ共通の神様である志那津彦命・志那津姫命という「風の神」が
祀られています。
この「志那」(シナ)という言葉も風を意味する外来語からきてるのです。


志那神社を越えて初めての交差点を左折します。
(真っ直ぐ行くと砂擦りの藤がある三大神社)

さらにその先の用水路が流れるところを右折して
志那中の集落に入ります。

ちょっと細いのですが写真のところで左折します。
30mほど先に「意布岐神 鎮守の碑」と書かれた石碑があるので、もしかするとそちらが正解?
私が参考にしたサイトはこの畑道でした…
ちなみに「意布岐神」(イブキジン)というのも風の神様だそう。

集落に入ったところに行者堂なるものがありました。
これってなんなんでしょうね。今回は深くは追求しないですが…(^^;)


淨運寺の脇にある細道へ入ります。
藤の季節はここに惣社神社の案内が出ています。


右折してすぐ見えるのが志那三郷の藤棚の一つがある「惣社神社」。
こちらは志那三郷を代表する「郷社」という格の神社みたいですね。

惣社神社の脇を抜けて、ドンツキを左折して進んでいきます。

印岐志呂神社がかなり立派だった!

道はさらに続きます。

常磐小学校の脇を真っ直ぐ行き、その先で右折…

すると何やらかなり年期の入った建物が見えてきました。
酒蔵か?と思いましたが、今はJAの倉庫のようです。

片岡町の交差点を突き抜けます。

細くうねった如何にも旧道っぽい道を進むと、その先に神社らしき林が。

そこは「印岐志呂神社」でした。

芦浦観音寺にも通じるような野面積みの石垣が両側にあるかなり立派な門です。
これは結構格式が高そうだ…
門の横にある説明を見ると、一度消失した後に芦浦観音寺の詮舜というお坊様が再建したとのこと。そう言えば石垣のあたりに芦浦観音寺
との共通性を感じます。

印岐志呂神社は天智天皇の勅願により創建されたとのことで、今年の11月には鎮座1350年祭が執り行われるという歴史のある神社なんです!
印岐支呂の名は用明天皇の大嘗祭のとき(585年)この地が悠記田に定められたことに由来しており、(ユキ代→イキ代→イギシロ)というように
なったそうです。

ほとんど車も人も通らないくらい何も無いところなのですが、非常に目立つ赤く大きな鳥居がそびえ立っており、なんだか異様な雰囲気…
でも今度の11月のお祭りは是非観に来てみたいなァ。

こんなところにも城跡?

そろそろ草津市と守山市の境目くらい。印岐志呂神社の鳥居から真っ直ぐいくと、

専光寺というお寺があるので、そこを左折してすぐに県道145号に出て右折します。

住宅地への道のほうが大きいため間違いそうですが、
細い方を進みます。
そのままいくと横江町の交差点にぶつかります。

ここでちょっと寄り道!
グーグルマップを眺めていると、「近江三宅城(川那辺支城跡)」ってあります。
なんだこれ?
「ロードバイクで行く近江の城シリーズ」でも
ノーマーク・・・。
となりの金森町にも「近江金森城(川那辺居城跡)」が。
これは是非行っとかないと!

志那街道は横江町の交差点を真っ直ぐ進みますが、左折して県道42号を200mほど進むと、

蓮生寺というお寺の竹藪が田んぼ越しに見えます。

これが城?

見た目はただの小さなお寺・・・。

門の前にあった古めかしい案内板を見ると、

信長と戦ったお城だったようです。

このブログを書くようになって、ようやく戦国期における近江での信長の戦いの変遷を知りつつあるのですが、
どうもこのあたりで「金森合戦」という戦いがあったのだそう。

当時このあたりは隣の金森町にある「近江金森城(川那辺居城跡)」の城主 川那辺氏が治めていました。
後に浄土真宗中興の祖と言われる本願寺8代宗主 蓮如が延暦寺の天台宗勢力に追われ頼ったのが、弟子の川那辺弥七入道=道西
そんなこともあり一時期は浄土真宗の拠点となり、金森町は近江一向一揆における中心的な場所であったそうです。
この地で蓮如は道場を開き、その後大阪の石山本願寺を作って一大勢力となっていきました。
ところが歴史は進み本願寺11代宗主 顕如の時代、織田信長が石山本願寺の明け渡しを要求したことに端を発して、
顕如は全面対決を決意。全国の宗徒に呼びかけ徹底抗戦を行ったのです。
その一つとして、この地金森においては善立寺(金森城)(道西)を中心として安土に布陣する信長勢力と対抗、これが金森合戦と
いう戦いです。そのときの出城の一つが蓮生寺(三宅城)(こちらは了西が守っていた)なんです。


寺の奥に進むと土塁の跡が残ってます。

寺正面にあった竹藪も実は土塁跡の一部だったんですね。なるほど寺にしては異様に守備力高そうだ。


横江町の交差点に戻り、再び志那街道を進みます。
大門町のあたりには道標がありました。

しばらく行くと金森町です。
ここでもちょっと寄り道して「金森城跡」を探します。
グーグルマップが差す城跡の場所は公園になってました。仕方ないので石碑と説明板があるところを探しました。
途中史跡らしきものを発見!

蓮如が杖で突いたら水が出たと言われる井戸だそうです。この手の話は高僧伝説としては良くありますよね。(^^;)

地図の説明板と書かれた辺りには、

旧道西坊跡の石碑がありました。
どうやらこの辺りが当時の中心だったようで、すぐ近くに善立寺もありました。
こちらは城跡っぽい史跡は無さそうなので、志那街道散策に戻ります。
(後で調べると善立寺のすぐそばに「金森御坊」がありました)

風の道から水の街へ

志那街道に戻る途中、何やら酒蔵っぽい建物を見つけました。

金盛酒造という蔵だったようですが、ちょうど建物を解体している最中でした…
人の集まるところに酒蔵あり!ですが、時代の移り変わりを感じます。さすがに現在の周囲は普通の住宅地なので…次に来たときにはこの建物は無いかも。

少し行くと道標がありました。

蓮如上人と書かれてます。この地域がいかに蓮如との繋がりが深いかわかりますね。


続いて金森町交差点を直進。


金神社って神社発見!
御利益凄そうだ。(゜o゜;)

そのまま進むと何やら緑の一角に水車がある場所を見つけました。

「金森湧水公園」というところでした。

こんこんと綺麗な水が湧いてます!

かなり小さな川が水車のほうへ流れていて、
よく見ると…

川の中に梅花藻がポツリポツリと白くて小さな花を咲かせていました!(^o^)

こちらの池には「ハリヨ」って言う冷たくて綺麗な水にしか住めない貴重な魚が泳いでます。

守山市内ってあちこちに小さな川があったりして、
またそれらの川には5月下旬から6月上旬にかけて「蛍」が飛び回るなど、さながら水の街って感じがします。

志那街道の終点へ

さて、寄り道ばかりの志那街道ポタリングですが、
あと少しでゴール。

さすが旧街道。やっぱこうでなくっちゃって感じ。県道146号から離れて未舗装路をちょこっとだけ進みます。

泉町のあたりで交差点を横切って、

守山銀座西の交差点で旧中山道と合流しました。ここがゴール!

わずか7㎞というサイクリングとしては短すぎる(ママチャリでも行ける)コースですが、なかなかの見どころ満載でした!
風の道に水の街・・・やはり太古から人を引き付ける歴史ある土地なんだなあとシミジミ感じます。

何気ない道もそんな歴史ロマンを感じて走ると短くても楽しいサイクリングコースになりますね!

志那街道の地図

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