地球の歩き方滋賀特派員ブログに記事を投稿しました!(東近江市・石塔寺)

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地球の歩き方滋賀特派員ブログに記事を投稿しました!

渡来人文化が息づく湖東の寺 滋賀の湖東地域は、古代朝鮮半島とのつながりが色濃く残っています。 新羅との戦いに敗れ滅亡した百済は復権を目指しましたが、日本からの援軍を得て戦った白村江の戦(教科書に出てくるやつです)で大敗を喫しました。その後700名を...

今回は、東近江市の「石塔寺」。この記事を書くにあたり近江と朝鮮半島、というか日本と朝鮮半島との歴史について知ることは避けては通れないと感じ、少し調べてみました。なぜこの寺にあのような形の石塔があるのか?。日本と渡来人にはどのような関係性があるのか…?

6世紀、中国には唐があり、中国大陸の一部と朝鮮半島にかけては高句麗・新羅・百済があり、海を渡って日本列島には倭国がありました。その規模のエリアをそれぞれが意識している状況だったのです。いわゆる今で言う日中韓の国際情勢です。倭国はそうした海の向こうの脅威に対して、以前から繋がりの深い朝鮮半島の三国の一つである百済を支援しました。百済も唐や新羅との争いの中、倭国に仏像や経典などを送って援軍を求めました。

結局、百済は唐・新羅連合軍に滅ぼされてしまいます。その百済復興のため倭国側で支援したのが中大兄皇子、後の天智天皇だったのです。中大兄皇子は百済から人質として送られていた百済の王子とともに戦う援軍を送り出し、ともに戦いました。その戦いが「白村江の戦」と日本史で呼ばれているものです。

この戦いは大敗してしまったのですが、唐・新羅連合軍の本土侵攻を恐れた中大兄皇子は、都を奈良の飛鳥から滋賀県の大津へと移したのです。「近江大津宮」と現在呼ばれている場所です。そして自身は天智天皇として即位したのです。

天智天皇は百済から亡命した多くの百済の人々を、今の東近江市あたりに土地を与えて住まわせたという話は地球の歩き方ブログにも書きました。その前からも何度も倭国は百済を助け、日本に住まわせているらしく、どうも百済と倭国は友好国とか、同盟国とかいうレベルではないような関係性があるようです。

稲作しかり、製鉄の技術しかり…、百済周辺から持ち込まれたものは多いようです。滋賀にはそういった技術を持った人が古くから住んでいて朝廷を支えていたと言います。滋賀について調べることは、日本の歴史そのものを調べること…。なんか面白くないですか?滋賀って。

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