忍者の道
新型コロナウイルスの影響で、3月末に予定されていた私の関わっている自転車イベントが軒並み中止や延期になってしまいました…。ここまで半年近く準備してたのに…。
先日の3連休も予定がすっかりなくなったので、久々にこのブログのメインテーマでもある滋賀の旧街道ライドへ一人でゆっくりと走ってみることに。
今回のターゲットは「杣街道」。
東海道の「横田の渡し」(野洲川を三雲側と水口側で渡した)の三雲から分岐して、忍者で有名な甲賀の集落を抜け、三重県の伊賀へと続いていく道です。
別名「伊賀街道」とも言います。甲賀から伊賀へ、まさに忍者街道ですね。
全行程はこちら↓
約25㎞程度の道のりです。
街道にはJR草津線が沿う形になっており、三雲駅から出発し柘植駅をゴールとした場合、帰りは輪行で戻ってくることもできます。
また滋賀から三重へと抜けるには、東海道の鈴鹿峠を始めとした険しい峠のヒルクライムが待ち構えていますが、このルートは割合なだらかな道ですので初心者向きですね。
出発
実は出発前にロードバイクのタイヤに空気を入れようとしたら全く空気が入らない…。どうやらチューブレスのバルブが壊れてしまったようで交換するしかないみたい。ショップに持ち込む時間もないので、今回はMTBのスタンプジャンパーでの出動です。まあ距離も大したことないのでこれで十分でしょ。
自宅からは東海道を進み、まずはJR三雲駅へ。
三雲駅を出発してすぐに「横田の常夜灯」が現れます。
川を挟んで反対側にある常夜灯よりは小ぶりですね。しかしホンの数百年前までは橋すら架かっていなかったなんて…。ということで、ここが東海道と杣街道の分岐点となります。
少し行くと、立て看板がありました。
杣街道は東海道に対して「新海道」とも呼ばれていたらしい。で、その石碑があるのですが天保義民の丘へ移設したと書いてある。おいおいなんでそんなところに…通り過ぎたところやん。でもちゃんと見てお行きたいのでここは戻っておきます。
先ほどの横田の常夜灯まで戻ると「ビジネス旅館 天保閣」があります。そこへ向かう道の途中に石碑は移設されていました。こちらには何も説明版もありません。これじゃあ何の石碑かわからんやん…。まあええけど。
杣街道七不思議…
ここから草津線沿いを杣街道は進んでいきます。たまに忍者イラストをラッピングした「シノビトレイン」が走りますよ。
しばらく進むと線路わきのガードレールが途切れ、お寺の入り口と思われる石段が線路の方へ続いている場所を発見! しかも、奥には明らかにお寺の参道が続いています。
なんだこりゃ? 踏切もないし、これは線路を横切らないとお寺に入れないの?
他のブログを見る限り、別に入り口があるとかないとか…。このお寺への参拝の方法は杣街道七不思議ということにしておきます(なんとなく大人の事情を感じる…。)
お寺はこの奥の高台にあり、そのむかし川の向こうの東海道を往来する人々が手に取るようにわかったそうです。そのため幕府からは街道の監視役としての役割を持たされていたとも…。
草津線開通に伴い、参道を強引に横切る形になってしまったみたいですね。くれぐれもこの線路内には立ち入らないようにご注意を。(きっと大人の事情が…)
園養寺の先で野洲川から杣川が分岐します。川幅はぐっと狭くなり、そこにとてもアンティークな雰囲気の橋が架かっていました。桜の木がたくさん植えられているので、桜が満開になればきっと絵になる場所だと思います。
その先には分岐があり、歩道の中ほどに小さな道標があります。
「瘡山神社道(かさやまじんじゃみち)」と書かれているようです。ここを右に入り、その先の集落へと進みます。
草津線下のトンネルを抜けていきます。我々草津市民はこういった隧道やトンネルを見ると「マンポ」と呼んだりします。有名なところでは東海道と中山道が合流する草津宿の「草津マンポ」や、京都市の蹴上にあるインクライン下のねじりマンポがあります。
明治から昭和初期にかけてのこういったマンポの造形って、非常に手間や拘りが見られて建造物として美しいなあと思います。そしてなにげに自転車を置いて写真を撮ってしまうのです。
滋賀県のマンポを巡る旅なんてのも自転車で行くには面白いかもしれませんね…。ちょっとマニアックすぎるかな。
田植え前の田んぼが広がり、草津線を走る電車が一望できる場所へ出ました。
ふと足元を見ると❝土筆❞が。人の世界はウイルスだなんだって騒がしいですが、自然はいつもどおりに季節の針を進めていました。
元伊勢伝説の神社
集落の中へ入ると、キレイに整えられている由緒ある雰囲気の神社が現れました。
ここが先ほどの「瘡山神社」のようです。
古代の神話の中で倭姫命(ヤマトヒメノミコト)はアマテラスを伊勢に鎮座させるまでに各地を巡幸したと言われているのですが、その際に立ち寄って一時的に祀った場所のことを「元伊勢」と呼ぶのだそうです。近江の国の中では特に甲賀市に多く残っているのですが、笠山神社もその一つとなっています。
倭姫命がここへ立ち寄った際に杉の木に笠をかけて休んだことから、「笠山神」と呼ばれ笠山神社となりました。大きく立派な老杉が立っていたそうですが伊勢湾台風の影響で弱ってしまい、現在は2代目が植えられています。
瘡も笠も同じカサという読みですが、老杉が病苦平癒の霊験があらたかであるとして有名だったことから、疱瘡などの治療にお利益があるということで瘡の字がいつしか充てられたと思われます。
今回は現物を見ていませんが、この神社の絵馬には魚の「オコゼ」が描かれているのだとか…。これも杣街道七不思議ですね。
(2)へ続く
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